(平成13年9月5日掲載、同17年1月1日増補改訂)

現在の病院正門

陸軍時代とは場所が違う。

旧通用門門柱と思われる煉瓦門柱

旧病院敷地の西門付近にあるが古地図によればこの位置に門柱はないので、戦後移設されたものと考えられる

(取材・画像提供 千葉県 Y様) 

門柱を近くで見たところ

(取材・画像提供 千葉県 Y様) 

同 上

(取材・画像提供 千葉県 Y様) 

門柱の上部

(取材・画像提供 千葉県 Y様) 

門柱の基部

基礎のコンクリートが新しいので、移設した際に作られたものと思われる。

(取材・画像提供 千葉県 Y様) 

門柱前から東方を見たところ

写真左側が病院敷地 この道路が聯隊兵営との境界線であり、前方の標識の辺りが通用門の旧位置と思われる

(取材・画像提供 千葉県 Y様) 

千葉陸軍病院は、明治41年4月1日鉄道聯隊(後の鉄道第一聯隊)兵営の北東側に「千葉衛戍病院」として設立された その後、昭和11年10月1日に「千葉陸軍病院」と改称された 戦後、国立千葉病院となり現在に至る。

千葉陸軍病院は、気の荒いことで有名だったという その原因は入院患者の殆どが隣接した鉄道聯隊からの入院患者でありその気の荒さが伝染しているためだと言われていたようである

昭和19年末この病院に教育入隊した関亮氏の著作「軍医サンよもやま物語」(光人社NF文庫)に、次のようなエピソードが記されている

「小笠原で負傷した兵科の見習士官が将校病室に入院していたが包帯交換のたびにヒイヒイと悲鳴をあげる。それを看護婦が、『将校のくせに泣くとは何事ですか』と気合を入れているのを見たことがあるなんとも凄まじい病院であった。」

所在地: 千葉県千葉市中央区椿森4丁目