八幡公園にある説明板 習志野市教育委員会による説明板。 同教育委員会の説明板は、総じて、大抵は写真入りで、内容も、よくありがちな特定イデオロギーに結びつけるような陳腐且つ政治的なものではなく、客観的な史実のみを述べており、大変好感が持てるものである。 近代遺跡の説明はかくあるべきである。 |
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昭和初期の騎兵旅団司令部と各騎兵聯隊 上の説明板の写真の拡大。 |
北側の門柱 明治時代の門柱で、門扉の取付金具も残っている。 移転する時に崩れたのか、少し傷んでおり、スプレーで落書きもなされている。 |
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真ん中の門柱 こちらも同程度の門柱で、門扉の取付金具も残っている。 |
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南側の門柱 この門柱は本来正面であるべき方向が横を向いている。 移築した際に作業員が適当に建てた為であろうと考えられる。 部隊名の門標をはめ込んでいたと思われる部分が、取り外されて口を開けている。 |
南側門柱の脇に残る石材 門柱脇に設置される土塁の土止めの石材。 なぜか一部だけここに移され放置されている。 |
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「騎兵第一旅団司令部跡」碑と「軍馬之碑」 北側門柱を入ってすぐのところにある。「騎兵第一旅団司令部跡」碑は戦後関係者によって建てられたもの。 後ろのブロック塀の向こう側が旧習志野郵便局で、かつて旅団司令部庁舎があった場所。 |
「軍馬之碑」 この「軍馬之碑」は陸軍時代のものだが、旅団司令部にあったものなのか、どこかの騎兵聯隊にあったものなのかはわからない。 いずれにしても、元々この位置にあったものではない。 撮影したのが8月中旬だったためか、線香や花が供えられていた。 |
「馬頭観世音」 「軍馬之碑」の右隣にある。 馬頭観世音(省略して馬頭観音ともいう。)は、六観音の一つで、煩悩を断ち、馬の安全を守り、道しるべの仏として信仰されている。 一般的には、馬頭観世音がある場所というのは、その地点が昔の交通の要衝であり、多くの人馬や荷車等が往来していた場所である。 ただ、この馬頭観世音の場合は、交通云々よりも愛馬の安全を祈願して建立したものと考えるのが妥当であろう。 |
「軍馬忠魂塔」 これも陸軍時代の石碑で、「馬頭観世音」の右隣に設置されている。 軍人等の「忠魂碑」と同様、戦場に倒れた軍馬の慰霊と顕彰のために建てた物で、立派なものである。馬に対する騎兵科将兵たちの愛馬精神がよくあらわれている。 |
「習志野騎兵旅団発祥の地」碑 この碑の題字は、閑院純仁(元、閑院宮春仁王)氏の筆。 春仁王は、昭和22年10月14日に臣籍降下、その後新興宗教の影響を受け、正規の手続きの上、昭和33年7月31日、戸籍上の名を純仁に改名された。 |
(平成13年9月8日掲載)
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