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@ 千葉公園の入口付近
写真右側に見えるのは、モノレールの軌道
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A 鉄道第一聯隊の工兵作業場跡の訓練用トンネル
ほぼ完全な形で残っている。上部の鉄道兵の徽章を象ったものは戦後取り付けられたもの。
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B 綿打池東側のコンクリート構造物
古いコンクリート製の構造物が残っている。鉄道の橋脚かその他の訓練施設の跡と思われる。
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C 綿打池と荒木山の現状
千葉公園南部にある綿打池と荒木山。
綿打池は戦前に比べると北側部分が一部埋め立てられており狭くなっている。
荒木山は、戦後鉄筋コンクリートの展望台が作られたり最近の公園整備等により特に台上が改変されている。
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D 「荒木山」標柱
昭和八年十二月三日に建てられたもので、荒木山の東側にある。元あった位置からは動かされているようであるが、柱自体はそのまま保存されている。
荒木山は、元々「喇叭山(らっぱやま)」と呼ばれていて、聯隊の喇叭手が訓練をしていた場所だったが、殉職した荒木大尉を偲んで山の上に銅像を建て、その後荒木山と呼ぶようになった。その後、大東亜戦争中に銅像は供出され行方不明となった。戦後ここには展望台が建てられたが、それも現在は完全に撤去され、荒木山の由来の説明版などが設置されている。
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E 架橋訓練場の訓練用橋脚
荒木山の北側に残っている物で、昔は同様なものが複数あったようだが今はこれだけである。訓練風景を焼き付けた説明板が張り付けてあるが、位置が高くて見えづらい。
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E 訓練用橋脚の裏側
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E 訓練用橋脚
上掲の橋脚の脇の階段を少し登るともう1基橋脚(鉄橋等のガーターを乗せるための丘側の基盤となるもの)が残っている。従来ほとんど紹介されていなかったのでここで紹介する。
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E 橋脚を見通したところ
2つの橋脚は一直線に並んでおり、手前側から向こう側に鉄橋等を架けたものと思われる。
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