(平成10年8月15日)
被爆後唯一残った11連隊の遺物で、戦後篤志家の手で広島市立福木保育園に保存されていたものを、昭和59年9月に広島城址公園に移築したものである。元々は、写真B付近にあった。
なお、奥に見えるのは広島城本丸石垣である。
門柱左側(南側)に並んであり、裏側には配置図や連隊の歴史の石板がはめ込まれている。
連隊の南端にあり、広島城中堀に面していた。現在は中堀は埋め立てられている。
現在は道路が貫通しており、痕跡は全くない。
この土塁は戦前からあったもので、連隊跡の北端にある。現在は裁判所職員官舎の敷地になっている。この土塁は、元々は広島城三の丸の土塁で、この北側(写真左側)には堀があった。
広島城天守閣最上階から連隊跡を見たところ。正面に見えるアンテナ塔はテレビ局のもの。