(住宅地、公園、道路、基町小学校)

野砲兵第五聯隊は、通称号「鯉5179」。明治11年2月、広島鎮台砲兵第五大隊が創設され、同12年山砲兵第五大隊に改編、同17年5月24日に砲兵第五聯隊に拡大改編された。日清戦争、北清事変、日露戦争、シベリア出兵、支那事変に参加し多くの戦果を挙げた。大東亜戦争開戦とともにマレー作戦に参加し、昭和17年1月末ジョホールバルを占領、続いてシンガポールを攻略し、2月15日イギリス軍が降伏してシンガポールは陥落した。昭和17年末から第8方面軍指揮下に入り、ニューギニア方面に展開、蘭印(インドネシア)セラム島の警備を担任中に終戦となった。

聯隊跡は、旧広島城三の丸跡西部に設けられていた。現在は、連隊跡北半分が広島市営基町高層アパート敷地の一部及び基町小学校、南半分が中央公園の一部、広島城址駐車場、ひろしま美術館敷地北部分、中央図書館敷地北部分、県立総合体育館敷地北東部分となっている。

「野砲兵第五聯隊跡」碑

この碑は、昭和59年に建立されたもので、基町小学校グラウンドのフェンスの外、東側にある。

野砲兵第五聯隊門標

この門標は、連隊跡碑の裏側に埋め込まれている。

記念碑付近の現状

写真中央の木陰に記念碑がある。その左側は小学校の校庭

堀越しに聯隊跡北部を見る

正門跡付近

写真前方の生け垣付近が門の跡であるが、全く痕跡はない。

明治天皇御用井

この井戸は、日清戦争時に明治天皇が広島に大本営を開設されていた当時使用された井戸で、野砲兵第五聯隊内にあった。

右側の石碑は、昭和7年に軍人勅諭拝受50周年を記念して、聯隊の将校・将校相当官・下士官兵一同の名で建立されたものである。

この井戸は、ひろしま美術館北側の国道54号沿い歩道上にある。

御用井脇の聖蹟碑(正面)

「明治天皇日清戦役ノ際廣島御駐輦中ノ御用井」とある。

聖蹟碑左側

「聖蹟此處ニ在リ朝夕之ヲ仰ク」、「聖徳敬慕ノ懐愈々深ク」、「聖諭奉體ノ念益々切也」とある。

聖蹟碑裏側

「昭和七年 野砲兵第五聯隊 将校同相当官 准士官下士官兵 一同」とある。

聖蹟碑右側

「勅諭拝受五十年記念ノ為メ之ヲ建ツ」とある。

(平成15年1月29日)