(広島市中区基町 中央公園、ファミリープール他)

輜重兵第五聯隊跡

輜重兵第五聯隊は、明治21年に輜重兵第五大隊として広島で創設、昭和11年6月に聯隊に昇格した。日清戦争、北清事変、日露戦争、支那事変で困難な状況下よく奮闘した。昭和15年末には南方作戦準備のため自動車化され、自動車3コ中隊に改編された。大東亜戦争のマレー作戦では補給品輸送にめざましい活躍をした。シンガポール陥落後はマレー半島の警備に当たっていたが、まもなく豪北方面の離島警備に転用され、終戦直前になってマレー方面に移動中、蘭印(インドネシア)のセラム島で終戦を迎えた。最終聯隊長は上木隆之大佐。

聯隊跡地の北部は「中央公園」となっており、造成工事によって全く痕跡は失われている。

空鞘橋東詰北側に作られた中国庭園

馬碑

同聯隊跡地に残るおそらく唯一の遺物がこの馬碑である。元は別の位置にあったが、公園島の造成工事に伴い現在地に移転された。空鞘橋東詰南側にある。

馬碑の裏側

馬碑裏側の文字

「昭和三年秋十一月建之」とある。

聯隊跡地南部

南部はファミリープールなどになっている。


(平成14年12月20日)