旧呉海軍下士官兵集会所

(海仁會呉下士官兵集会所)

(平成14年8月4日改訂)

呉市幸町4にあり、明治36年(1903年)に下士官・兵のための厚生施設として設置された。当初は「呉海軍下士卒集会所」という名称だったが、大正10年(1921年)に「呉海軍下士官兵集会所」に改称された。昭和11年(1936年)には、現在の、地上3階・地下1階・一部塔屋付きの鉄筋コンクリートの建物が完成した。昭和31年以降は、海上自衛隊呉音楽隊や防衛庁共済組合の青山クラブ(民間人も宿泊できる。)として使用されたいる。

なお、この施設の名称については、呉海兵団に入隊し新兵教育を終了した者に対して昭和十五年十月に配布された「呉海兵団隊業記念寫眞帳」(昭和十五年六月入団・第三十八分隊)(呉海兵団許可済、編集主任委員:海軍特務中尉政門清一 によると、“海仁会呉下士官兵集会所”と写真の名が記されており、その説明には 「我等海軍兵員が上陸外出時の休憩所、慰安所、倶楽部である」となっている。 このことから、昭和15年当時は名称が「海仁会呉下士官兵集会所」であった様である。 「海仁会」は海軍下士官兵の親睦団体の名称。(資料提供:高橋氏)

手前の鉄橋はJR呉線のもの

建物の前のバス停の名称は「眼鏡橋」というが、現在この橋は存在しない。元々は今の鉄橋の下あたりに橋があったが、昭和初期呉線の工事で川を暗渠にする際に眼鏡橋も埋められたという。石造りでアーチ状の形にくりぬいていたので「眼鏡橋」と呼ばれていたという。

また、海軍時代には鉄橋を越えた辺りに門があり、朝夕は呉海軍工廠に通勤する人でごったがえしていたという。

近くで見たところ。写真左端の森は、呉鎮守府長官官舎がある入船山である。
中庭の現状。今は駐車場になっている。
建物は上から見るとコの字形になっている。