(広島市南区霞1丁目)

広島陸軍兵器支廠は比治山の東に位置し、かつては煉瓦造りの建物が18棟あったという。平成5年までは煉瓦建物が2棟(広大医学部1号館・11号館)あったが、1号館は同年2月5日に取り壊され、残った11号館も平成11年に解体・移築された。

兵器支廠の敷地は現在、広大医学部、医学部附属病院、歯学部付属病院、原爆放射能医学研究所、県警学校、中国管区警察学校等になっている。

左の写真は、敷地の南東角付近を現在の国道2号から見たところ。なお、国道2号と交差して手前から左前方へと続く道路は旧国鉄宇品線跡。

古い門柱

広島大学霞宿舎前(敷地の南西端付近)に残る門柱。通用門の跡か?

兵器支廠沿いの宇品線跡の現況

敷地の西側を通っていた宇品線の跡は、現在は拡幅されて道路になっている。

写真は、原爆放射能医学研究所前付近。

移築された建物

以前は現在地から約150m南東にあったもの(広大医学部11号館)で旧軍時代は兵器庫だったといわれている。

現在地に移築前は食堂や医学資料館として使われていたが、平成11年に現在地に解体・移築された。

煉瓦・石材など古いものを一部再利用しているものの、建物の形状は長さが短くなるなど変更されてしまっている。完全に消滅するよりははるかに良いものの、残念なことではある。


(平成15年1月16日)