テレビ新広島、中電工業工場、皆実高校、広島工業高校、日本通運出汐倉庫、住宅地

現在、被服支廠の跡地は、テレビ新広島(TSS)、中電工業工場、皆実高校、広島工業高校、日本通運出汐倉庫、住宅地となっている。

北東には広島陸軍兵器支廠(現在は広島大学病院等)、北西には電信第2連隊があった。

西側北端から南を見る(被服支廠敷地西端)

ここから380m先が支廠敷地の南西角で、この間に倉庫が3棟建っている。また写真手前にあるようなレンガの壁もかなり残っている。

北側の倉庫(北面)

西側に3棟ある倉庫のうち最も北側の倉庫を北側から見たところ。長さは約90m、幅は約20mある。被曝したにもかかわらず、保存状態は意外と良好である。

これら倉庫は、実は鉄筋コンクリート造りで外壁のみレンガ張りであり、壁の厚さは50cmもある。

通用門跡

門柱に門標などの跡がないので、正門ではなく通用門的なものであったと思われる。

窓の鉄扉

2番目の倉庫(北面)

2番目の倉庫(南面)

西側倉庫群の中央の倉庫を南から見たところ。

3番目の倉庫(北面)

原爆の爆風で曲がった鉄戸

被服支廠西側は、爆心地から約2.8kmの地点であり、爆心地方面に面したこれら倉庫の鉄戸の多くが湾曲している。

3番目の倉庫の角から北を見る

南側から見たところ

被服支廠敷地南西角に位置する。

同じ位置から東を見る

上の倉庫の東端付近から東方向を見たところで、4つ目の倉庫は3つ目の倉庫と直角に建っている。

この通りが被服支廠の敷地南端である。

3番目の倉庫(東面)

4番目の倉庫(西面)

朽ちた窓の鉄扉

4番目の倉庫(東面)

東側は高校のグラウンドになっている。

敷地東側の宇品線跡

敷地南東角から北方向を見る。このまま北に進むと、住宅地、皆実高校、中電工業工場があり、変則交差点を左折するとテレビ局がある。このテレビ局の敷地が被服支廠の北端部分に当たる。

また、この道沿いに、かつては軍用鉄道の国鉄宇品線が通っていた。


(平成15年1月14日)