広島第二陸軍病院跡

(広島市中区)

広島第二陸軍病院は、当初「広島陸軍衛戊病院」として設立され、日本人のみならず、日清戦争や日独戦争などでは捕虜の治療にも当たった。昭和20年8月6日の原爆被爆時には、職員330名、入院患者750名がいたと言われているが、病院は倒壊・炎上して壊滅した。桜並木が美しかった太田川堤防上には、救援に駆けつけた部隊がトタンやむしろで応急的に臨時救護所を作り、被災者の救護に当たった。現在、病院跡は市営・県営アパート敷地になっている。

病院門柱と慰霊碑

太田川堤防上にある。

手前が陸軍病院の門柱で、戦後ここに移築されたものである。奥の方にあるのが慰霊碑である。

門柱裏側

広島陸軍病院原爆慰霊碑

同上

移転された古い記念碑

同上

石碑の裏側

枯れてコンクリートで固められた被爆エノキ

慰霊碑の下(堤防下)にある。

陸軍病院の庭にあったこのエノキの大木は、原爆の熱線で黒こげになったが、枝を伸ばし葉を茂らせるようになったが、昭和59年の台風で2つに割れてしまい、昭和63年に枯れてしまった。その後、根の部分をコンクリートで固めて記念碑としている。

慰霊碑そばにある説明板

被爆後堤防上に開設された臨時救護所

原爆被爆2日後の昭和20年8月8日に開設された臨時救護所の写真


(平成15年7月25日)