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船舶司令部跡の現状
船舶司令部は昭和17年に運輸本部を動員により拡充して設置されたもので、写真の公園辺りにあった宇品凱旋館に置かれた。船舶司令部は陸軍が運用する船舶部隊・機関を一元的に指揮・統制するものであり、「暁(あかつき)部隊」(陸軍船舶部隊の通称)の総本山というべき組織であった。凱旋館の建物は戦後海上保安庁が使用したというが、後に取り壊され、現在はみなと公園になっている。
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宇品凱旋館建設記念碑
表に、「宇品凱旋館建設記念碑」、「皇紀二千六百年 昭和十五年 二月十一日」、「陸軍中将 田尻昌次書」と刻まれている。
田尻昌次(しょうじ)中将は、陸士18期で、元々は歩兵科出身だが船舶関係の勤務が多かった人物である。兵庫県出身、陸大30期で、功四級と功三級金鵄勲章を受章している。この記念碑を建てた当時は第一船舶輸送司令官兼運輸部長(昭和13年3月1日発令)であった。田尻中将は、この碑が建てられた直後の同年3月7日に待命となり、3月30日に予備役編入となった。
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明治天皇御駐驛趾碑
みなと公園の東端に明治天皇の行幸を記念した碑がある。明治天皇が全国行幸の一環として明治28(1885)年に来広された際、建設中の宇品港から呉・倉橋島を視察されたことを記念して、昭和14(1939)年に建てられたもの。
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裏面には、「昭和十四年一月建之」、「陸軍中将 松田巻平敬書」とある。 松田中将は、陸士15期、歩兵出身であるが度々鉄道や船舶関係の補職についている。松田中将は昭和13年3月25日に予備役編入となっているが、昭和10年3月15日に運輸本部長、12年7月30日に第一船舶輸送司令官となっているので、その当時にこの記念碑設置が決まっていたものと思われる。
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旧蹟陸軍運輸部船舶司令部碑
この地にかつて船舶司令部があったことを示す記念碑。碑の前の碇は何の船のものかは不明。
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同碑裏側
この記念碑は、昭和55年2月に暁宇品会が建立した。
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平和の礎
この碑は全国強制抑留者協会広島県支部が建立したもの。
「ありし日に君と遊ひし 砂の浜 ここに建つなり 平和の祈り」とある。
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同碑裏側の碑文
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「港」の歌碑
この碑は、昭和50年7月21日に建立された。
空も港も夜ははれて 月に数ます舟の影 艀の通いにぎやかに よせくる波もこがねなり
林なしたる帆柱に 花とみまかふ船印 積み荷の歌のにぎはいて 港はいつも 春なれや
この歌は日清日露戦争当時の宇品港の活況を歌ったものと言われている。
「港」の歌碑建立由来記
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