(平成21年9月16日掲載、平成22年4月25日改訂)
【参考資料】 『阿見と予科練〜そして人々のものがたり〜』(編纂事務局編。平成14年3月29日発行) 『米軍空撮垂直写真』 (昭和22年撮影。国土地理院) 『海軍気象学校跡実地調査資料』 (平成22年4月当会作成。未刊) |
海軍気象学校は、艦船・航空機の航路確保のための気象観測・天体観測・海洋観測技術の修得者を養成する海軍の教育機関である。 前身は、昭和19年7月1日に茨城県稲敷郡阿見村に創立された海軍航海学校分校で、昭和20年3月1日に独立した。 本校には、普通科・高等科・特修科・専攻科が設置された。 しかしながら、各種術科学校は、同年7月15日までに繰り上げ修了を実施して修了者を本土決戦要員に振り向けるよう通達を受けた。 航空燃料の欠乏とともに、航空機のための気象観測の必要性が薄くなってしまったため、海軍気象学校も他の学校同様、繰り上げ修了・閉校措置をとられ、創立後わずか4ヶ月で閉校となった。 学校長は関郁乎少将で、海軍航海学校分校長からそのまま留任していた。 戦後、昭和20年11月15日、本校跡地に水戸大空襲で焼け出された茨城師範学校男子部が移転し、旧海軍施設を利用して教育を行った。 同校はその後変遷を経た後廃止され、旧気象学校校地は住宅地として再開発された。 現在、海軍の建物は全く無く、敷地内の区画道路や海軍時代のものと思われるコンクリート製の階段が敷地北端部の阿見団地内道路脇に残る程度である。 |