海仁会集会所(旧海軍下士官兵集会所)の沿革 現在、「かすみ公民館」がある場所には、かつて「海仁会集会所」があった。旧名称は「海軍下士官兵集会所」といい、昭和5年に海軍が用地買収して付近の海軍将兵の福利厚生のために建設され、隊外酒保等として利用されていた。 建物は木造二階建てで当時としてはモダンな外観であり、玄関前には土塁があった。 その後、土浦海軍航空隊の開隊による人員増加に伴い、昭和15年頃近くの霞台に新しい海軍下士官兵集会所が建てられた。 この時に、前の下士官兵集会所は海仁会が運営を引き継ぎ、その名称を「海仁会集会所」に変更したものである。 海仁会が運営を引き継いでからは、士官クラスが利用する宿泊施設等になったが、売店の利用は従来どおり下士官兵にも開放されていた。 終戦後間もなく阿見町役場として利用され始め、昭和41年からは阿見町福祉センターとして利用されてきたが、平成6年に老朽化のため解体されてしまった。 (参考資料: 『阿見と予科練』P270) |
海仁会集会所跡 霞ヶ浦海軍航空隊跡から土浦海軍航空隊跡へと続く旧海軍道路の途中にあり、現在は阿見町の「かすみ公民館」が建っている。 現在、海軍時代の痕跡は全くない。 海仁会は、海軍下士官兵の互助組織であり、士官の水交社のような組織であった。 |
同上 上の写真と反対方向を見通したところで、このまま阿見坂を下ると土浦海軍航空隊跡(陸上自衛隊土浦駐屯地)に至り、写真中央の信号交差点を右折して真っ直ぐ進むと海軍気象学校跡地に至る。 写真右奥に見える桜の木は、この海軍道路が建設されたときに植えられた「海軍桜」である。 現在はここの3本しか残っていない。 |
(H23.05.29 uploaded)