海軍下士官兵集会所の沿革 現在、「防衛省土浦特借宿舎」(通称「阿見官舎」。茨城県稲敷郡阿見町阿見)の東側には、かつて「海軍下士官兵集会所」があった。 下士官兵集会所は、元々、約100メートル北東の場所(現在「かすみ公民館」がある場所)に設置されていたが、土浦海軍航空隊の開隊による人員増加に伴い、昭和15年頃に霞台(かすみだい)に新しい海軍下士官兵集会所が建てられた。 この時、それまでの下士官兵集会所は、その名称を「海仁会集会所」に変更した。 新しい霞台の集会所も前の集会所も、ともに海仁会が運営していた。 海仁会とは、海軍軍人及び軍属の共済組織のことで、主に海軍住宅の建設、退職後の就職斡旋、宿泊施設や売店の経営等をおこなっていた。 門を入った左側には本館前の広場があり、そこには、天井の高い直径5m位の大きな金網の檻があり、その中に猿が2、3頭おりブランコや枝振りのいい木で遊んでいたという。 しかし、昭和20年6月10日の阿見空襲の際、米軍の爆撃を受けて炎上し、全て灰燼に帰した。 跡地は、戦後、阿見町が町営住宅第一号を建設したが、その後防衛庁の官舎地区となった。本館が建っていた辺りは防衛庁共済組合の所有地となり住宅が建設されたが、その後組合員への分譲がおこなわれ、現在は個人所有の住宅地となっている。 現在、海軍時代の痕跡は、周辺地域とは明らかに異なる地割りのみである。 (参考資料: 『阿見と予科練』P271〜272) |
海軍下士官兵集会所正門跡 海軍道路に面した正門の跡地。 正確な門柱の位置はわからないが、『阿見と予科練』の地図によれば、向かって右側の門柱は「かみい和美」という看板の右側の路肩付近に、向かって左側の門柱は写真左のオレンジ色の花の左側の建物の壁の内側辺りにそれぞれあった。(上図参照) 写真中央の道路は戦時中にはもちろんなかったものである。 |
(H23.06.07 uploaded)