陸軍士官学校(相武台)跡

(現、在日米陸軍司令部など)

写真は陸軍士官学校の練兵場跡で現在は米軍のゴルフ場になっている。

陸軍士官学校の起源は、明治元年8月に京都に設置された「兵学校」にあり、これが2年1月に「兵学所」に改称、2年9月には大阪に移転して「大阪兵学寮」に改称、同年12月にはまたしても改称して「陸軍兵学寮」となった。4年10月、陸軍兵学寮は東京に移転、5年10月には寮内に「士官学校」、「幼年学校」、「教導団」を設置した。6年8月、仮陸軍士官学校が仮設され、7年10月、ようやく「陸軍士官学校条例」が制定され市ヶ谷に陸軍士官学校の創設が決定された。明治8年1月から陸軍士官学校は市ヶ谷で業務を開始、2月に1期士官生徒が入校した。21年11月からは新たに士官候補生制度となり23年7月に第1期生が卒業した。

大正9年には大きな組織改革が実施され、従来の陸軍中央幼年学校が陸軍士官学校予科となり、従来の士官学校が本科となった。

その後昭和12年8月、市ヶ谷に陸軍予科士官学校設立、10月陸軍士官学校が移転(地上は座間、航空は所沢)し、12月に天皇が第50期生卒業式に行幸されこの時本校所在地を「相武台」と命名された。昭和20年8月末に終戦により解散した。入校した最終期は第60期(実質的には長期野営と称して疎開していた)、第61期は予科士官学校入校中であった。

キャンプ座間にはまだ多数の士官学校関係建物や記念碑などがあるが、現在は警備強化中なので、念のため写真掲載は当面見送る。


(平成13年12月12日初掲)


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