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守礼門(しゅれいもん)
尚清王時代(1527年〜1555年)に創建された門でいわば首里城の玄関である。門に掲げられている扁額には、「守礼之邦」と書かれており、「琉球は礼節を重んじる国である」ということを示している。 元の門は沖縄戦で焼失し、現在の門は戦後復興したものである。
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園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)
国王が出御の時に、道中の安泰をこの石門前で祈願した。 石門後方の林は御嶽と呼ばれる聖域とされる。
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歓会門(かんかいもん)
首里城の城郭内に入る第一の正門。尚真王時代(1477年〜1526年)に創建された。 別名「あまえ御門(うじょう)」ともいう。 ここも戦火で焼失し、戦後復興されたもの。
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瑞泉門(ずいせんもん)
「瑞泉」とは「立派な、めでたい泉」という意味で、門の手前右側にある湧水「龍樋」にちなんで名付けられた。 現在の門は再建したもの。
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龍樋(りゅうひ)
龍の口から湧水が出ていることから名付けられた。 王宮の飲料水として利用され、また冊封使の宿泊施設である天使館にもこの水を届けたと言われる。
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漏刻門(ろうこくもん)
「漏刻」とは、中国語で「水時計」という意味である。 駕籠の使用を許された高官でも国王に敬意を表してこの場所で下乗することから、別名「かご居せ御門(かごいせうじょう)」とも呼ばれた。 ここも再建。
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広福門(こうふくもん)
神社仏閣を管理する「寺社座(じしゃざ)」と士族の財産問題を調停する「大与座(おおくみざ)」という役所が置かれていた。 ここも勿論再建されたもの。 現在は首里城公園有料区域入館チケットの券売所として使われている。
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日影台(にちえいだい)
日時計。 漏刻門の水時計の補助的な道具として使用された。 これは復元したもの。
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日影台付近から見た久慶門と円鑑池(えんかんち)・龍潭(りゅうたん)周辺地域
円鑑池の脇に第三十二軍司令部壕の入口がある。
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奉神門(ほうしんもん)
首里城正殿のある御庭に入る最後の門。 再建。
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御庭(うなー)と正殿
御庭は様々な儀式が行われたところ。
正殿は、琉球王国最大の木造建築物で、木造3階建て本瓦葺き。 正殿も戦災で焼けてしまったため平成4年に再建された。
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円覚寺跡
円覚寺は王族の菩提寺であった。
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右掖門(うえきもん)
久慶門の東側にあり、御内原(おうちばら)への通用門として使用された。 再建。
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久慶門(きゅうけいもん)
主に女性が使用したと言われる首里城北側の通用門。 再建。
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弁財天堂と円鑑地(えんかんち)
朝鮮王から贈られた方冊蔵経(ほうさつぞうきょう)を納めるために建てられたものという。
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第三十二軍合同無線通信所跡
円鑑地のそば、車道のすぐ下にある。
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入り口に立つ手書きの説明板
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入り口内部の様子
中には入れない。
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第三十二軍司令部壕入口
数カ所あった入り口の一つであるが、崩落していて入れない。 これは米軍による破壊ではなく、司令部が後退する際に破壊したものといわれる。
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上記近影
右側が崩れている。
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入口
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崩落した内部の様子
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入口左脇に横たわる分厚いコンクリート塊
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