明治天皇観艦之所碑

(大阪市港区天保山)

天保山の頂上

天保山は海抜4.5mの日本一低い山(国土地理院の三角点として)です。 天保山の横を流れる安治川は、江戸時代、諸国の船が大阪へ出入りするために掘削された人工河川ですが、上流から流れてくる土砂が堆積して川底が浅くなることが度々あり、船舶の通行に支障をきたしました。 天保2年(1831年)、安治川河口を浚渫した際に川底の土砂を河口近くに積み上げてできたのが天保山です。この天保山は、大阪に入港する船の目印となりました。山には桜や松などが植えられ店が建ち並び、江戸末期には多くの浮世絵に描かれるほどの有名な舟遊び・花見の名所となっていました。 江戸末期の開国後は掘り崩されて「天保山台場」(砲台)となってしまいましたが、明治末期、天保山周辺の築港埋立地が新しい市街地となり、大阪市内からの市電が走るようになると、再び遊園地や海釣、大型船見物などの行楽地に戻り、戦前は大阪でも有数のモダンスポットであったといいます。 しかしながら、天保山自体は、掘り崩しや地盤沈下の影響もあって、元々の高さの約18mから現在の高さになってしまいました。

「明治天皇観艦之所」碑を見上げる

天保山公園海寄りに立つ「明治天皇観艦之所」碑。

明治元年26日、明治天皇が我が国初の観艦式に臨んだことを記念して昭和4年に建造されたものです。

碑文には、「大阪市青年聯合團之碑  大勲位戴仁親王殿下御題字  明治元年三月明治天皇大阪ニ行幸アラセラレ天保山ニ上リテ親シク軍艦ノ操練ヲ閲シ給フ本邦海軍興隆ノ運實ニ是ニ開ク此地即チ王躅ヲ留メ給ヒシ所ナリ後年ソノ迹ノ湮滅セムコトヲ慮リ大正天皇銀婚式記念トシテ建碑ノ議起リ昭和四年五月工ヲ起シ同十月ニ到リテ成ヲ告ク乃チソノ所由ヲ記シテ不朽ニ傳フト云爾  昭和四年十月  大阪市青年聯合團長 關 一 謹誌」とあります。

碑の裏側

遠景

(平成15年12月25日初掲)