野戦重砲兵第九聯隊第二大隊(これは旧所属における名称であり、サイパン島では独立山砲兵第三聯隊野戦重砲大隊が正しい。しかし、戦後の慰霊等については旧所属である野重九聯隊戦友会の方がおこなっておられるので、本編では便宜上「野戦重砲兵第九聯隊第二大隊」又は「黒木大隊」と称します。)は、大隊長黒木弘景陸軍少佐以下289名で、昭和19年2月23日、ソ満国境の東寧から南方転用された部隊で、独立山砲兵第三聯隊に編入されました。 同年3月19日にサイパン島に上陸した大隊は、人力で港からカナツタブラ谷地の展開地域まで砲を移動させ、陣地と観測所を構築しました。 米軍上陸時は、12門の15糎榴弾砲の集中砲撃により米軍の第一次上陸部隊を壊滅させるなど戦果を挙げました。 しかし、その後米軍の攻撃により戦力を消耗し、7月18日までに壊滅してしまいました。 生存者は少し離れた場所にあった観測所にいた兵員だけだったといいます。
この四年式十五糎榴弾砲は黒木大隊が使っていたものを発掘したものです。
砲の説明板
慰霊顕頌碑
野戦重砲兵第九連隊戦友会が建立した「戦没将兵之銘碑」

左の写真は、大隊本部黒木隊のもの。

第四中隊(山川隊)
第五中隊(川口隊)
第六中隊(草間隊)
慰霊碑の奥約80メートル先にあるアメリカ人民家の敷地が陣地の跡地です。 きれいに整地されており、痕跡は何もありません。 ここは私有地なので、観光客が勝手に入り込むと高額の「料金」を請求されるとのことです

(平成16年10月24日初掲)