1942年(昭和17年)2月15日、シンガポールを占領した日本軍は、シンガポールの華僑ゲリラや抗日分子を排除するため、市内各所に検問所を設けて、18歳〜50歳の成年男子を対象に検証を約1ヶ月間実施し、抗日分子を処刑したとされる。 戦後の極東軍事裁判(東京裁判)では、「6千人の華僑が殺害された」とされたものの、その実態は今も不明瞭であり、この裁判自体の正当性の問題や内容の乱雑さを考慮すれば、相当な誇張があると考えるのが自然であろう。
しかし、この事件の責任を問われて事件当時の昭南警備司令官であった河村参郎陸軍中将(陸士29期、終戦時は中国軍管区参謀長)が戦犯として逮捕され、1947年(昭和22年)6月26日にシンガポールで死刑を執行されている。
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