旧海軍技術研究所

(現、防衛省防衛研究所ほか)

海軍技術研究所は、東京目黒区の防衛庁防衛研究所などが所在する地域にあり、現在でも本館建物や附属建物、軍艦旗掲揚塔基部などが多数残っている。

この地には、安政4(1857)年に徳川幕府が砲薬製造所をこの地に設立し、目黒川の水力を利用して火薬の製造を開始して以来、現在に至るまで軍事施設が所在してきた。明治3年6月、明治新政府が目黒火薬製造所を設立。明治18年2月には海軍火薬製造所となるが、関東大震災で壊滅。昭和5年、海軍技術研究所が築地から移転、終戦まで続いた。昭和20年11月、英連邦軍が進駐。昭和30年、防衛技術研究所目黒試験所が設置された。昭和33年には、防衛研究所が霞ヶ関から移転し、防衛技術研究所目黒試験所は技術研究本部第1研究所に改称。平成6年には、実験池を埋め立てた地域に、統合幕僚学校・陸上自衛隊幹部学校・海上自衛隊幹部学校・航空自衛隊幹部学校が移転した。

写真は、恵比寿ガーデンプレイスからみたところ。

旧海軍技術研究所本館

現在は、防衛省技術研究本部の研究所として利用されている。

窓のサッシや建物内部はかなり改造されているが外観はほぼ旧態を保っている。 貴重な建築物である。

昭和初期の建築。

軍艦旗掲揚塔基部

本館前の道を挟んだ向かい側にある。説明板などはもちろん設置されていないので詳しい由来等はよくわからないが、技術研究所らしく、「技術報國」と刻まれた銘板がはめ込まれている。

【平成十二年十月二十四日初掲、十三年八月二十四日増補改訂