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かつての近衛騎兵聯隊営門
現在は戸山公園の入口となっているが全く遺構は残っておらず、道路の付け替えもあり正確な位置ははっきりしない。
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北門跡の現状
現在は学習院女子大学の裏門となっている。この煉瓦の塀と門柱は戦後造られたもののようである(煉瓦そのものは戦前のものらしい)。
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旧炊事所
旧炊事所はおおむね原形を保っている。旧北門跡を入ってすぐのところにある。西側から見たところ。
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旧炊事所
東側から見たところ。
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旧兵舎
旧兵舎もおおむねそのまま残っており、学習院女子大学の現役校舎として使用されている。写真は東側側面。
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旧兵舎
旧兵舎の正面側
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旧兵舎
旧兵舎の裏側(北側)は煉瓦壁になっている。
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近衛騎兵聯隊之碑
碑の表側の題字は閑院純仁氏。裏側は、笠原幸雄元聯隊長による碑誌が次のように刻まれている。
「近衛騎兵聯隊ハ明治建軍以来全国ヨリ選抜ノ隊員ヲ以テ構成セラレ禁闕守護ト鳳輦供奉ノ大任ヲ果シ幾多ノ戦ニモ参加ス我等ハ大正三年ヨリ屯営タリシ此ノ地ニ碑ヲ建テ永ク聯隊ノ名ヲ伝フルト共ニ戦友ヲ偲ビ愛馬ヲ想フノ標トス」
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兵舎前に放置された石柱
旗の掲揚塔の基部と思われるが、兵舎の前に倒れたまま放置されている。
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裏門跡の現状
現在は、学習院女子大学の正門となっている。ただし、この門は軍のものではなくて、明治18年、華族女学校として四谷に発足して以来転々としてきた由緒あるもの。
華族女学校は明治22年に永田町御料地に移転。明治39年に学習院女学部となり、後に本館が火災にあったのを機に青山練兵場跡地の一部(現在の秩父宮ラグビー場辺り)を借入れ、大正7年に新校舎を竣工、同時に学習院学制改正により学習院女学部は女子学習院となった。昭和20年5月、空襲により焼失。昭和22年、近衛騎兵聯隊跡に移転して私立学校として再発足した。
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かつての裏門
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