旧乃木大将邸

(その3)

棗の標

水師営にあった棗(なつめ)の木の孫に当たる木。

旧乃木邸

明治12年に買い求め、明治35年に改築された物で、建坪168平方m、木造平家建、日本瓦葺で、傾斜地を利用して建物全体に半地下構造を持つ。

ドイツ留学中にスケッチしたフランス軍連隊本部を模範として建てたと言われ、豪華な建物が多い明治期の洋風建築には珍しく軍人らしい質素な建物となっている。

乃木大将夫妻殉死の部屋

乃木希典陸軍大将夫妻は、明治天皇御大葬の日(大正元年9月13日)、この部屋で殉死した。

現在、旧乃木邸は周囲に回廊が巡らされていて内部をうかがうことが出来るが、中には入れない。

塚田大佐献納石碑

塚田陸軍歩兵大佐が大正4年9月13日に建立した石碑で、乃木大将の肖像がはめ込まれている。

乃木神社

乃木神社は、大正元年9月13日に乃木大将夫妻が殉死してから、乃木邸へ来観する人々が日を追って増加していった。そこで時の東京市長阪谷芳郎男爵等が中心となって「中央乃木会」を組織、乃木邸内小社に、夫妻の霊を奉安した。そして、毎年9月13日には祭儀を挙行するなどした。大正5年の立太子礼に当たっては、乃木大将在世中の忠節により、正二位を追贈された。大正8年には神社創立を許可せられ、明治神宮の鎮座を期して造営の事業が起こされ、大正12年11月1日、鎮座祭を斎行した。昭和20年5月25日、空襲により本殿以下社殿が焼失したが、全国崇敬者の熱意により、昭和37年9月に復興した。

(平成13年11月17日初掲)