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市谷亀ケ岡八幡宮(いちがやかめがおかはちまんぐう)
長禄元年(西暦1457年)、上杉定正の重臣太田道灌が江戸城を築城、その後、文明11年(1479年)に道灌はこの地に江戸鎮護の神として鎌倉の鶴ヶ岡八幡宮を勧請祭祀した。
陸軍士官学校に隣接していることもあり、士官学校の候補生達もよく参拝に訪れたという。
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銅鳥居
文化元年(1804年)12月建立の銅製明神型鳥居で、高さ4.6m、台石0.55m。
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御大典記念碑
軍が建てたものではなく、地元の有志の人達が建立したもの。
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同碑を近くで見たところ
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八紘一宇碑
これも軍とは関係なく、戦前、当時の東京市長が建てたもの。
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大馬場跡
八幡宮の駐車場から見下ろしたところ。写真前方の斜面上に晴気少佐慰霊碑等がある。
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官有地と民有地の境界(敷地東端)
写真右端は隣接する長泰寺の塀、それに続く段差が市ヶ谷駐屯地の東端である。正面の細い道は八幡宮の境内でありその左側の塀は予備校の塀。
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長泰寺と陸軍用地の境界にある標柱
「陸軍省所轄」とある。本来は「陸軍省所轄地」のはずだが「地」の文字は埋もれていて見えない。おそらく大正頃のものと思われる。
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2本の境界標柱
長泰寺から八幡宮の方に少し進むと、そこにも標柱が2本残っている。
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手前の標柱
「陸軍用地」と刻まれている。昭和に入って建てられたものと思われる。
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奥の標柱
草に埋もれて見えづらいが、同じく「陸軍用地」と刻まれている。
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