陸軍造兵廠東京工廠は明治時代に旧水戸藩邸跡地に設立され各種兵器や・弾薬の製造を行っていた

しかし関東大震災によりその工場等施設は打撃を受け昭和8(1933)年に九州小倉に移転した

移転後跡地は後楽園球場等の施設が建設された

荷揚場跡

陸軍造兵廠東京工廠の南端は神田川に面しており各種資材等を船で輸送して写真の付近で陸揚げしていた現在は神田川一兵衛河岸防災船着場となっている

一兵衛河岸説明板

荷揚場は、江戸時代は一兵衛河岸と呼ばれ、やはり荷揚場として利用されていた。

敷地の東側付近

公園や後楽園遊園地となっている。

写真左方向には東京ドームが建っている。

小石川後楽園入口

小石川後楽園は水戸藩邸時代から陸軍時代を経て今日まで残っている貴重な遺構であると共に旧軍関係の遺構を残している唯一の場所でもある

入口付近にある説明板

入園は有料

園内の様子

遠方に見える立派なビルは、文京区役所である。

九八屋(くはちや)と弾薬製造機械の一部

写真左の建物は昭和34年に復元された九八屋で写真右側植込の中に見える傘型の物が機械の一部である

弾薬製造機械の一部

これは戦争遺跡関係書籍等でよく紹介されている有名なもので関東大震災前に弾薬製造のために使われていた機械の一部と言われている

コンクリート製の台座に設置・固定されており元々この位置にあったものと思われるが、九八屋(本物は戦災で消失)のすぐ脇にあるのでいささか不思議な感じがする或いは、工廠の移転後陸軍か小石川後楽園の関係者により記念碑的にここに設置されたものなのかも知れない

同上 側面

同上 上面中央部

火災で焼かれたためか、亀裂が入って割れてしまっている。

赤門と稲荷神社

小石川後楽園の東端にある。 写真右側の塀の右側(東側)は東京ドーム。

稲荷神社はいつ勧請されたのか判らないが陸軍時代以前からあったものと思われる。

建物の煉瓦片

この付近には、陸軍時代の建物の煉瓦片が多数落ちている。

稲荷神社の下に集められた破片

陸軍造兵廠東京工廠跡記念碑

工廠が移転した際に陸軍によって建てられた記念碑で、形状は敷地の外郭の形状。

昭和10年建立。

陸軍造兵廠東京工廠跡記念碑

正面碑文

同上右側面

同上

同上

記念碑の裏側

工廠の歴史についての碑文がある。

(平成17年9月2日)