九五式小型四輪起動乗用車

(平成13年1月5日)

写真の裏には「四輪起動車」とだけ書かれているが、正式名称は「九五式小型四輪起動乗用車」である。

満州事変の経験から、側車付自動二輪車の価値が甚だ低下したので、陸軍はこれに代わる指揮連絡用車の研究を始め、この種の自動車に具備すべき要件を定めて、民間希望会社に試作を依頼した。

これを受けた日本内燃機株式会社(昭和7年9月に日本自動車株式会社大森工場が独立したもの)は、昭和10年、ロードスター型小型四輪起動車を1台試作した。 その諸元は、エンジン: 45度V型、空冷2気筒、1,200cc、ホイールベース: 2メートル、前輪独立懸架式で、車輪はフォードA型ワイヤースポークを使っていたが後にディスクホイールに変えた。

昭和10年から11年初頭にかけて、陸軍自動車学校(後の陸軍機甲整備学校。現在東京農業大学がある場所にあった。)が他社の試作車も含めて比較試験をした結果、日本内燃機の試作車を主体に他社の長所を取り入れて、日本内燃機が製作を担当することになり、昭和11年1月から生産が開始された。 陸軍は、試験の年が皇紀2595年(昭和10年)だったので、この四輪起動車を「九五式小型四輪起動乗用車」と称呼した。 この車両は、240台生産された。

翌昭和12年、総排気量を1,400ccに増加し、圧縮比、馬力も改善したエンジンでセンターフレーム式の四起とし、これを九七式乗用車と称呼した。 九七式乗用車は、昭和12年に1,160台、13年に1,250台が生産された。