【平成16年8月12日掲載】

写真帖の表紙

右下に「船舶兵幹部候補生」の金文字が、左上に「部外秘」の文字が押されています。

この写真帖は、広島船舶練習部第十期船舶幹部候補生の記念アルバムです。

廣島船舶練習部長 陸軍大佐 村中四郎

立派な顎髭が特徴的な村中大佐は、有名な山崎大佐の前任者としてアッツ島守備隊長を務めていた人で、同隊長を下番後広島に赴任しました。

着用している軍服は三式で、右胸に船舶胸章を付けています。靴は長靴ではなく編上靴に革脚絆です。佩刀は軍刀ではなく平打刀緒を付けた指揮刀です。

廣島船舶練習部第十期船舶兵幹部候補生の集合写真

略帽には名札のようなものが付けられています。

生徒隊長

お名前は不明ですが、階級は少佐です。

区隊長

手書きのキャプションには「区隊長連中」と書かれています。

服装は船舶兵独特のものであり、全員救命胴衣を着用しています。靴は長靴ではなく航空用と同型の半長靴を履いています。

宮崎県美々津での訓練風景

溝淵大尉

溝渕大尉は、区隊長ではないかと思われます。

昭和19年夏、宮崎県延岡海岸で

讃岐金比羅神社での第十期幹部候補生記念写真

宮崎県土々呂の船舶兵廠舎

宮崎県延岡海岸の船舶工兵上陸演習地での相撲

宮崎県延岡海岸の船舶工兵上陸演習地での集合写真

宮崎県延岡海岸の船舶工兵上陸演習地における手旗信号訓練

艇隊航行

上陸演習

小発動艇C1075号

岸壁で出港準備中の小発動艇

小発動艇の出港

航行中の小発動艇

上陸煙幕展張

整列して訓辞を受ける幹部候補生達

海岸に達着する小発動艇

偽装して待機する小発動艇

対空射撃

海岸での作業?

航行中の手旗送信

広島船舶練習所の将校

集合写真

廠舎内での休憩

八紘之基柱(あめつちのもとはしら)前での記念撮影

現在も宮崎市の平和台公園に残るこの塔は、紀元2600年の記念事業として、神武天皇が大和に東征するまで皇居としておられたという皇宮屋(こうぐうや)の北方台上に建設されたもので、昭和14年5月着工、15年11月に竣工しました。戦前は通称「八紘一宇(はっこういちう)の塔」と呼ばれていたそうです。

造形は臼杵出身の彫刻家である日名子実三氏。基柱の高さは礎石から120尺(約36m強)、正面には秩父宮殿下の御染筆を拡大した「八紘一宇」の文字が刻まれました。

戦後、昭和21年1月、GHQの命令により「八紘一宇」の文字が削り取られ、武を象徴する「荒御魂像」が撤去され、名称も「平和の塔」と変えられました。しかし、その後復元と保存の気運が高まり、昭和37年に「荒御魂像」が復元され、同40年には「八紘一宇」の文字が復元されました。

ちなみに、昭和39年の東京オリンピックの聖火リレーは、この平和台公園がスタート地点でした。

集合写真

集合写真