八紘之基柱(あめつちのもとはしら)前での記念撮影
現在も宮崎市の平和台公園に残るこの塔は、紀元2600年の記念事業として、神武天皇が大和に東征するまで皇居としておられたという皇宮屋(こうぐうや)の北方台上に建設されたもので、昭和14年5月着工、15年11月に竣工しました。戦前は通称「八紘一宇(はっこういちう)の塔」と呼ばれていたそうです。
造形は臼杵出身の彫刻家である日名子実三氏。基柱の高さは礎石から120尺(約36m強)、正面には秩父宮殿下の御染筆を拡大した「八紘一宇」の文字が刻まれました。
戦後、昭和21年1月、GHQの命令により「八紘一宇」の文字が削り取られ、武を象徴する「荒御魂像」が撤去され、名称も「平和の塔」と変えられました。しかし、その後復元と保存の気運が高まり、昭和37年に「荒御魂像」が復元され、同40年には「八紘一宇」の文字が復元されました。
ちなみに、昭和39年の東京オリンピックの聖火リレーは、この平和台公園がスタート地点でした。
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