この詔書は満洲國執政であった愛新覚羅溥儀が康徳元年(昭和九年)三月一日に満洲帝國皇帝に即位した際に読み上げた皇帝即位詔書の当時の写しであり日本で明治天皇の教育勅語や軍人勅諭等が複製されたのと同質のものである

詔書の大きさは53cm×38cmである

康徳元年三月一日附の「満洲國政府公報」により皇帝即位詔書を読み下すと次のようになっている。 但しPCで表示できない漢字については片仮名に改めた。 なお、文中の( )内はルビである

奉 天承運ノ皇帝詔シテ曰ク 我國基ヲ肇メ國ヲ満洲ト号シテ茲ニ二年天意ノ愛民ニ原(モト)ヅキ友邦ノ伏義ニ頼リ、其始メ兇残虐ヲ肆ニシ安忍民ヲ阻(タノ)ミ無辜天ヲヨブモ能ク自ラ振フコトナカリシニ日本帝國群疑ヲ冒シテ避ケズ衆咎ヲ犯シテ辞セズ、事ハ解懸ニ等シク、功ハ援溺ニ同シ。 朕藐躬ヲ以テ及チ天眷ヲ承ケ、我ニ尺柄ヲ仮シ我ニ兵民ヲ授ケ流亡漸ク集マリ其謳歌ヲ興シ兵気潜銷シ化シテ日月ト為ル 夫レ皇天親ナク惟ダ徳是レ輔ク。 而シテ生民欲アリ、主ナケレバ及チ乱ル。 位ヲ正サンコトヲユ請シ、詢謀僉(ミ)ナ同シ、敢テ天命敬承セザランヤ。 其大同三年三月一日ヲ以テ皇帝ノ位ニ即キ改メテ康徳元年トナシ仍ホ満洲ノ國号ヲ用ユ。 世難未ダツキズ、何ゾ敢テ苟安セン。 有ラユル守國ノ遠図、経邦ノ長策ハ、常ニ日本帝國ト協力同心以テ永固ヲ期スベシ。 凡ソ統治ノ綱要成立ノ約章ハ一ニ其旧ノ如シ。 国中ノ人民種族各異ルモ此レヨリ心ヲ推シテ腹ニ置キ、利害与ニ共ニス。 此言ヲ渝(カ)エザルt(カツ)日ノ如キ有リ。 朕ガ命ヲ替ルコトナカレ。 咸(ミナ)ヲシテ聞知セシム

御名御璽

国務総理大臣 各部大臣

康徳元年三月一日

(平成11年12月28日掲載)