1 大陸の情勢
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- 19世紀後半、欧米列強の進出によって、清国は事あるごとにその威信を失墜させ、人心が動揺、宮廷では守旧派と進歩派に分かれて抗争していた。 かつては「眠れる獅子」と呼ばれていた清国も、日清戦争に敗れて弱点を暴露してからは、更なる列強の激しい威圧を受けるようになっていた。
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- 宮廷内には、列強の進出に反発して極端な排外攘夷思想をとる守旧派と、変法自強策を唱える康有為(こう・ゆうい)らの進歩派があったが、守旧派の西太后が進歩派を抑え、政治の主導権を掌握した。
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- このような情勢下の明治33(1900)年5月初旬、宗教的・政治的結社である「義和団」が、キリスト教徒との紛争に端を発して蜂起した。 西太后らは、密かにこれを支持する態度をとったので、「扶清滅洋」を主張する義和団は力を得て、遂に列国の公使館を襲撃するに至った。
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- 同年6月11日には日本公使館書記生が、6月20日にはドイツ公使がそれぞれ殺害され、更に6月17日には太沽(たーくー)にあった清国正規軍が列国艦隊に攻撃を加えた。 列国は、それぞれに陸戦隊等を派遣して公使館や居留民の護衛に当てていたが、6月21日には列国と清国政府との間に宣戦が布告された。
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