明治三十七八年戦役(日露戦争)
17 戦争の終結
1 ポーツマス講和会議
- 日本は奉天会戦及び日本海海戦で勝利したものの、すでに日本の国力は限界に達しており、早期に休戦に持ち込む必要があった。 明治38年(1905年)6月10日、アメリカ大統領ルーズベルトは、日本に対して講和を勧告してきた。
-
- 一方のロシア帝国は、相次ぐ敗北と日本の明石大佐の謀略などもあって内乱のおそれが増大し、革命の気配すら憂慮されるに至っていた。 それでも、ロシアは大国の面目にかけても降伏する意志はなかったが、明治38年(1905年)7月28日、帝国の領土である樺太を日本軍に占領されるに及び、ついに講和勧告を受け入れた。
-
- 日本は外務大臣小村壽太郎、ロシアはウィッテをそれぞれ全権委員として、8月9日からアメリカのポーツマスで講和会議を開催した。 老巧なロシア側の強硬な態度で会議はもつれたが、日本は賠償金の請求をあきらめて、樺太の南半分の獲得にとどめ、8月29日講和条約の協定を終え、9月1日休戦議定書に調印した。 この結果、戦地の満州軍は9月16日正午から休戦にはいった。
-
- 10月14日講和条約の批准がおこなわれ、日露戦争は終結した。講和条約の主な内容は次のとおりである。
-
- 1 ロシアは、日本が韓国において政治、軍事及び経済上の卓越した利益を有することを承認する。
- 2 ロシアは、一定期限内に満州から撤兵する。
- 3 遼東半島の租借権を日本に譲渡する。
- 4 南満州鉄道及びこれに付属する一切の権利・財産を日本に譲渡する。
- 5 樺太南部を日本に譲渡する。
-
- 賠償金がなく、樺太が南半分しか獲得できなかったこの条約は、日本にとって不満足なものであった。 一方、陸軍力の大半を温存しているロシアにとっても、この条約は不満であった。 しかし、前述のとおり、日本はすでに動員能力の底をついており、ロシアは革命の気運が燃え上がっており、ともに戦争継続は困難な事情があった。 ルーズベルト大統領の仲介努力もあってこのような妥協案が成立したのである。
-
- 本戦争は、日本にとっては、韓国保全を目標とし、その後の計画は具体化されないまま開始されたもので、城下の盟をさせるような計画も自信もなかった。 朝鮮半島を保全しなければ、日本の発展的生存が成り立たないという自覚が、国を挙げて困難な戦争を遂行する国民の意志を支えた。 また、軍人を含む指導層が、明治維新以来の同志的なつながりにより、大きな無理なく政治と軍事の一致を図ったことは、戦争指導、特に終末処理を適切にした。 また、日英同盟の存在、米国の好意などが、日本の勝利に大きな力となった。
-
2 彼我の損害
(1) 日本の損害
- ア 人 員
- ・ 死亡及び服役免除者 : 約118,000名
- ・ 捕 虜 : 約2,000名
-
- イ 軍 馬 : 約38,350頭
-
- ウ 艦 船
- ・ 軍 艦 : 12隻
- ・ 水雷艇・仮装砲艦・閉塞船 : 25隻
- ・ 輸 送 船 等 : 54隻
-
- エ 臨時軍事費
- ・ 陸 軍 : 1,283,281,933円
- ・ 海 軍 : 239,932,276円
(2) ロシアの損害
- 人員115,000名、軍事費2,180,000,000円以上と考えられる。
-
- ア 捕 虜 : 79,454名
- イ 捕 獲 馬 : 3,983頭
- ウ 軍 旗 : 3 旒
- エ 火 砲 : 957門
- オ 小 銃 : 140,904丁
- カ 撃沈又は捕獲艦船 : 98隻
- キ 抑留又は武装解除艦船 : 7隻
-
3 戦後の影響
(1) 桂・ハリマン協定(明治38年10月12日)
- ポーツマスにおける日露間の講和会議が始まると、8月にアメリカの鉄道王エドワード・ハリマンが来日し、日露戦争の終結によってロシアから日本に譲渡されるであろう南満州鉄道の経営に加わることを申し出た。 日本の元勲や財界人は賛成し、総理大臣桂太郎は南満州鉄道経営に関する予備協定覚書(桂・ハリマン協定)を作成した。 しかし、帰朝した小村外相はこれに反対したため、この申し出を断ってしまった。 それまで日本に好意的だったアメリカ人は、これを機に次第に反日的になっていった。
(2) 明治39年(1906年)から大正3年(1914年)の出来事
明治39年 6月 7日 |
南満州鉄道株式会社設立の勅令発布 |
7月24日 |
陸軍大将児玉源太郎逝去 |
明治40年 3月13日 |
アメリカ合衆国が、日本人及び朝鮮人の締め出しを狙う大統領令を発布 |
7月19日 |
韓国皇帝、譲位の詔勅発布 |
明治41年 2月18日 |
日本人移民問題で日米紳士協定調印 |
12月 2日 |
清国新皇帝愛新覚羅溥儀(宣統帝)即位 |
明治42年 1月 9日 |
カリフォルニアで排日運動再発 |
10月26日 |
伊藤博文、ハルピン駅で暗殺される。 |
11月11日 |
アメリカ、ハワイ真珠湾を海軍根拠地にする |
明治43年 4月15日 |
第6潜水艇佐久間大尉以下14名、山口県新湊沖で潜航演習中に沈没・殉職 |
8月22日 |
韓国併合条約締結 |
明治44年10月10日 |
清国で辛亥革命 |
12月29日 |
孫文、中華民国大統領に当選 |
大正 2年 6月13日 |
軍部大臣現役武官制廃止 |
8月 8日 |
孫文、黄興ら日本に亡命 |
10月6日 |
袁世凱、中華民国大統領に当選 |
大正 3年 6月28日 |
オーストリア皇太子夫妻、サラエボで暗殺 |
7月28日 |
第1次世界大戦勃発 |
-
(10.11.1)
旧戦史室記事閲覧コーナーに戻る