以下に紹介します日誌は、昭和19年5月、愛知県の岡崎海軍航空隊に甲飛予科練第一期生として入隊したI氏の6ヶ月間にわたる貴重な記録です。

戦後歳月を経てから書かれた回想録とは異なり、その時その場で書かれた物ですので、大東亜戦争末期の飛行予科練習生の日常生活や心情等を知るための第一級資料と言えるでしょう。

この貴重な資料を提供してくださったI氏に、心から感謝申し上げます。

また、I氏は、ウェブサイト「予科練」を運営されていますので、是非ご覧ください。

5月14日(日) 曇り

憧れの予科練入隊の日来る。6時過ぎ家出発、祖母の見送り、町内会、親類の見送りに深く感謝す。親友はM駅まで見送ってくれる。10時半発車、皆々の顔を思い浮かべているうちに午後2時岡崎駅に着く。3時前新しき第一歩を踏み出す岡崎航空隊に着く。3時半より厳重な身体検査を受ける。今日は無事通過す。夕食後軍隊生活第一夜を故郷の夢を見ながら。

5月15日(月) 曇り

第一夜は明けた。俺の班長は、I上等飛行兵曹である。大変親切で幸福である。この班長の厳なる声に跳び起き軍隊生活初めての朝食をとる。故郷のみんなを想い出す。昨日の身体検査が引き続き行われる。昼食前合格が決定され、S県10名のうち、2名不合格になる。真に同情にたえず。午後初めて憧れの七つボタンの軍服を渡される。初めての軍服を着る心持ちは何に例えることも出来ず。午後8時第2夜の床に就く。わらぶとんを引き毛布の中に心持ち極めて豊かなり。

5月16日(火) 曇り

5時起床。整列終わり号音の聞き方を教えられる。ラッパ極めて勇壮なり。朝食に就く。シャバの飯とは一段と味異なる。7時半より9時半迄入隊第1回の物理・数学の試験あり。俺成績悪く残念に思う。午後、ツベルクリンの注射あり。K高校のU君と同班の為甚だ満足なり。夕食後バスに行くがゆっくり入ることできず、軍隊生活はぐずぐずしていられないことを痛感せり。

5月17日(水) 曇り

元気で跳び起きる。何もかも官品の為純綿で細かい物まで戴ける。不自由なし。父母のお陰と感謝する。第1回目の教練あり。海軍の敬礼は陸軍と違いスマートなり。K分隊長より予科練生の心得を聞かされる。小荷物の荷造りあり故郷を思い出す。午後隊内見学、5時バスに行く。食卓番のため遅くなり、苦労せり。

5月18日(木) 雨

外は雨、朝の点呼が兵舎内で行われた。午前中被服整理、入隊式に新しき物を着用する準備が終わって分隊士より1時間練習生心得の読み聞かせがあり、被服点検、入隊式予行演習あり。夕食後入浴。明日はいよいよ二等兵になれるのだ。

5月19日(金) 曇り時々小雨  入隊式  海軍二等飛行兵

武道場にて、9時半より入隊式が行われる。「海軍二等飛行兵を命ず。」 司令の厳たる声。俺も遂に帝国海軍軍人の一員に加わることができた。今後ともおおいに頑張ろう。

5月20日(土) 小雨

分隊長訓話。「敵に勝つには味方に勝つなり。」 浦野分隊士の訓話あり。4時半よりチフス三混注射あり。夜注射が痛くて眠れない。故郷の夢を見る。

5月21日(日) 晴れ

起床3時。空襲警報が発せられたため総員起こし極めて早し。入隊第1回目の日曜であるが、我等は兵舎周囲直しの作業せり。十数名にてトラックで砂はこびをする。午後は休養なり。昼食時六部総員バッチョク腕立て伏せをなせり。約10分。フラフラになる。苦しかったが最後まで頑張る。班長の「成せば出来る。」を頭に思い浮かべながら。

5月22日(月) 晴れ

昨日と同じ午前3時起床。本日体力検査あり。懸垂8回、二千メートル7分55秒、手榴弾23メートル、成績悪し。体の調子少し悪いが故なり。

5月23日(火) 晴れ

修身、数学、体操、陸戦軍制行われる。陸戦とは、不動の姿勢、左右向け等基礎訓練なり。腹非常に減り昼食極めてうまい。

5月24日(水) 晴れ

物理あり、又陸戦で折敷き伏せ。体力章検定の重量運搬がある。百メートル25秒。明日より体操などいよいよ本格的になるとのこと、胸躍る。本日第三警戒配備になり夜はゆっくり眠れる。ありがたし。

5月25日(木) 晴れ

朝、分隊長の作文あり。きわめて簡単なり。午後海軍体操を習う。自分の体の硬かったことを痛感する。夕方血液検査あり。O型なり。就寝時助教よりO型が一番と聞き心持ち愉快なり。

5月26日(金) 晴れ後雨

朝晴れたるも昼過ぎより雨にて陰気なり。昼食時食卓番おそく第七班長になぐられる。入隊以来初めて殴られるが痛さ感ぜず。鍛錬のたまもの。

5月27日(土) 雨

海軍記念日なり。海軍軍人として最も意義深き日なり。雨降りにつき第一種軍装にて格納庫へ行く。8時軍艦旗掲揚。続いて隊長の訓示及び東郷元帥全軍解散の時の訓示の奉読あり。次に日本海海戦、夜戦の軍歌歌う。きわめてさわやか。昼食にネーブル半分、キャラメル1個与えられ待遇格別なり。

5月28日(日) 晴れ

日曜につき大掃除あり。昨日の三混注射のききめ現れ痛い。俺他五名兵舎の庭園を直す。体だるく遺憾なり。

5月29日(月) 晴れ

朝温習時分隊長の訓示あり。端正について行われり。ついで陸戦三時間非常に疲れる。しかれども訓練につき頑張る。午後、明日の分隊訓練の練習あり。次いで手旗を習う。モールスより覚えやすけれども疲れる。その後体操二時間。

5月30日(火) 晴れ

朝温習時数学を習うが忘れたる故残念なり。銃剣術二時間。分隊点検本隊司令官の閲兵あり。一日の司令官巡視につき注意あり。手旗練習あり。五時頃消防訓練行われる。俺達は見学。軍人だけあって真に動作敏捷なり。その講評後再度行われたが、前と少しも変わらず機敏に行われる。

5月31日(水) 晴れ

午後手旗二時間ある。文字の「カ」まで習う。いたって簡単。本日で入隊より半月たつ。もう半月すれば後輩が来る。

6月1日(木) 晴れ

司令官巡視につき朝大掃除ある。甲板拭きには閉口す。十八聯合航空隊司令官勝又清三海軍少将。俺は海軍二等兵、雲泥の差なり。本日精神緊張せり。

6月2日(金) 晴れ

当直練習生につき大いに張り切るが少し小さいことをぬかり残念。やはり分隊を引率するには、指揮者となる者がしっかりやらねばと痛感す。夕温習時当直練習生をしたためかあたりよし。小さなパン二個、うちにジャム入り非常にうまし。毎日欲しいくらいなり。夜十時本日の反省をしながら床に就く。

6月3日(土) 晴れ

当直練習生も交替しやれ一安心。たまには大きな声でみんなを引率するのも楽しい。手旗はモールスよりも覚えやすいが、モールスも勉強せねば。午後入隊後初めての執銃教練あり。暑くなり非常にだるい。最後に分隊長より褒められる。

6月4日(日) 曇り後雨

日曜なれど外出できず。朝雨の中作業を行う。その後、武道場にて軍歌演習あり。軍楽兵指導のもと行われる。年取った下士官が七つボタンを着ているのはかんばしからず。やはり予科練にかぎる。午後休業雨のため身のまわり整理。

6月5日(月) 晴れ後雨後晴れ

朝作文、第三中四運用、非常に早し、うかうかしておられぬ。午後銃剣術二時間。初めて防具を着けるが試合は行わず着け方、しまい方を習う。夕方バス。行きにピンタ二つ有り難く受ける。

6月6日(火) 晴れ

朝温習数学あり。午後はラッパの聞き方。食事のラッパはよくわかる。本日酒保配給品あり。とてもうまい。クリマンジュウ二つたしかにうまし。入隊して三回目。

6月7日(水) 晴れ

初めて相撲あり、まわしを着けて行う。愉快であった。夕方火災。十二兵舎かと思われしが隊外であったと聞く。

6月8日(木) 晴れ

入隊初めての大詔奉戴日なり。朝八時軍艦旗掲揚。午前二時間陸戦、二時間銃剣術。午後手旗、五十音全部わかる。班長の「やればできる。」である。

6月9日(金) 晴れ

親愛なる友より手紙来る。写真も入っており、H校時代を思い出す。

6月10日(土) 晴れ

H校での友人だったY君陸士の学科にパス。一日千秋の想いで身体検査を待っているであろう。負けぬように頑張らなければ。

6月11日(日) 曇り

いつも通りの大掃除。銃剣道の防具のウルシに負け診察に行く。真っ白い薬塗られ気持ち悪し。午後防空壕掘りをする。

6月12日(月) 晴れ

銃剣術二時間す。明日より第一警戒配備につきバス当番が済んですぐ就寝。

6月13日(火) 晴れ後曇り

午前二時間銃剣術、入隊初の試合にして身体自由にならず。昼食後、尊敬せる第十班長の転勤を聞く。丁度一ヶ月親の如くお世話になった班長に別れるのはつらい。別れの式は軍人だけあって簡単だった。夜酒保あり。前と同じくクリマン二個。班長との別れの後か味無し。本日よりカヤを吊る。

6月14日(水) 雨後晴れ

班長交替第一夜は明けた。今度の班長はとても怖い。が、頭はすごくいいらしい。手旗二時間、体操二時間、体操は座運動。シャバでやったことのない体の痛くなる運動だ。相撲は雨のため行わず。本日第二期生入隊。共に学んで早く大空へ飛び立とう。

6月15日(木) 晴れ  海軍一等飛行兵

本日海軍一等飛行兵を命じられる。何とも言い表すこと出来ず。入隊して一ヶ月、当時の感激をもって張り切っていこう。

6月16日(金) 晴れ

朝発理、航理行われる。いよいよ難しくなる。しかし、整備を習って初めて搭乗員になれるのだ。夜前班長よりハガキ25枚みんなにくださる。班長の御恩に報いなければならない。

6月17日(土) 雨

航空機理論、発動機理論いよいよ難しい。午後七班班長より敵米支空軍がコシャクにも北九州を襲撃した由。畜生今に見ていろ、俺が乗ったら皆撃墜だ。サイパンにも敵上陸す。戦いが激しくなってきたことを示す。

6月18日(日) 曇り後晴れ

第二警戒配備にて引率外出許されず。午前大掃除。俺等計器実習場に行く。飛行機の計器十分見学する。夕温習後錨印ゼリー与えられる。やはり軍隊だけあってシャバにないものが食べられる。毎日食べたい。

6月19日(月) 晴れ

精神教育、軍紀。午後陸戦四時間。第二期生の入隊式あり。祝福のため昼食は赤飯あり。

6月20日(火) 晴れ後曇り

精神教育後手旗ある。最後の手旗なり。夕方酒保配給品あり。今日はクリパン二つ。

6月21日(水) 晴れ

陸戦四時間、小隊訓練なり。K教員の指揮の下で名古屋派遣隊の飛行場まで行く。昼食時リンゴ半分与えられる。分隊長の話では、サイパンではいぜん激戦続く由。又ドイツも無人飛行機で英本土を攻撃しているとのこと。家では新聞を見るがここではさっぱりわからぬ。夕方21分隊の丸山助手南方第一線に征く。

6月22日(木) 晴れ

本日六月分給料戴く。金九円四十三銭。午後衛生講話あり。

6月23日(金) 晴れ

修身の時間に分隊長から罰直をくらう。十五分間の不動の姿勢なり。午後体操三時間、一時間駆け足。続いて班対抗の小競技。十班は21分隊で第一番になることが出来よう。第三班長のK教員が南方に征く。人格者が去っていく。

6月24日(土) 晴れ

精神教育二時間、物理、発理今日で終わる。午後体操陸戦四時間、一時間散開後閲兵分列の練習あり。今日新兵器教育は終わった。明日いよいよ整備のことを習う。

6月25日(日) 曇り

外出のあてが外れる。午前中プロペラ実習場の作業。発動機の精密なのに驚く。午後二時頃入浴。身の回り整理。軍歌演習。夜寝具係で罰直、急降下。

6月26日(月) 曇り

本日より第二期訓練始まる。第一課業銃剣術、第二課業図画。午後計器図学。非常に難しい。整備訓練に入りいよいよ飛行兵としての訓練に入ってきた。

6月27日(火) 晴れ

本日分隊点検あり。第一種軍装一等兵のマークをつけて初めて。点検後、明日の査閲の練習あり。副長に対し行われる。午後図画。夕食後酒保あり。クリマン二個。

6月28日(水) 晴れ

軍容査閲。司令の査閲を受く。軍艦旗を先頭に堂々の行進。講評優良なり。いよいよ第二期訓練に入る。査閲後九班長より罰直、銃器検後先任教員より捧げ銃の罰直。昼食前十班の配食が悪いのを告げに行った者あるにつき、六部総員「前に支え」、「急降下」あり。昼食後、班長よりテーブルに足を上げ甲板に手で支える「大急降下」。汗、玉の如く流れる。入隊以来一日の罰直としては最高。

6月29日(木) 晴れ

体操二時間、肋木を行う。次いで柔剣道あり。剣道のS先生は黒縁の眼鏡いかにも強そう。午後計器補習四時間、飛行機の羽布の補習修理の実習あり。

6月30日(金)

食事前駆け足あり。約二千メートル。七月八日には班対抗のマラソン大会がある。午後計器補習の仕上げ。本隊に伝染病流行る。当隊でもコレラ予防の為、水を絶対飲まぬよう注意を受ける。

7月1日(土) 晴れ

今日より第二種軍装なり。分隊長の軍装を見て驚いた。明日の行軍に備えて夏服のマーク付けをする。午後ヤスリの使用方法習う。

7月2日(日) 曇り後晴れ

待ちに待った行軍だ。上夏、下冬の軍装に身を固め弁当、水筒を持ちキャハンを巻く姿は映画で見る予科練そのものだ。明治ビスケットは砂糖が多くついている。出発。明治貯水池水源池が目的。水源池に着く頃から雨が降り出す。川原で川を挟んで騎馬戦、知挺競技あり。休憩後魚つかみ、次いで教員の水泳の型を見る。さすが海軍軍人だけあって上手だ。午後、雨の降る中帰る。汗に濡れ、雨に降られ軍服だいなし。途中軍歌演習あり。分隊長も我々とともに雨に濡れる。手本となるところなり。

7月3日(月) 雨後曇り

精神教育二時間、燃油二時間、午後計器補習、鋲打ち。夜、急に手箱検査行われる。21分隊に悪き者出たためなり。分隊長の検閲無しで手紙を出した者がいる。又タバコを吸ったり食物を持っていたり。分隊士は泣いておられた由・・・・・・・

7月4日(火) 晴れ

体操二時間、武道二時間。第二警戒配備につき夜食あり。オジヤ大変うまし。

7月5日(水) 晴れ

本日二時四十五分起床。八時間計器。夜食あり。八時就寝。

7月6日(木) 晴れ

午後計器。陽気の加減か眠い。

7月7日(金) 晴れ

午後陸戦。班長はとても面白い。教練か遊びかわからぬ。夜酒保ありて相変わらずブツアンのクリマンジュウ二個。

7月8日(土) 晴れ

本日第三課業に八千メートルマラソンあり。十班と五班。一万メートル走った経験からなんともなし。四十二分かかる。三十分で走らねばならぬ。

7月9日(日) 晴れ

午前中、入浴室掃除、草むしり。集まれば休暇の話に花がさく。午後行事なし。

7月10日(月) 晴れ

今が一番暑いのだろう。

7月11日(火) 晴れ

昼食時ラムネでる。午後派遣隊長隊退される。入隊して僅か二ヶ月だが国家の命なればしかたなし。隊長の武運長久を祈るのみ。夕方菓子センベイでる。

7月12日(水) 晴れ

整備の基本作業本日より始まる。

7月13日(木) 晴れ

計器時、O教員の「軍人は要領を本分とすべし。」と言われた意味を間違えて分隊士に告げた者があり罰直及び注意あり。

7月14日(金) 晴れ

本日第三期生入隊する。先任練習生として模範的分隊にならねばならぬ。夕方酒保あり。ブツアンの入ったクリマンジュウ二個。いつ食べてもうまし。

7月15日(土) 晴れ

マット体操。十人ほど並べて水平跳びで跳びこす基礎を行う。午後の体操愉快なり。

7月16日(日) 晴れ

入隊二回目の行軍。今日は登山競技。村積山へ向かって出発。十時より競技開始。第十班は八回目。いよいよ出発だ。急な山道を駆け足で上がる。炎天下で息苦しい。倒れた者もいたが十班は第三着なり。分隊長より賞品に一人ハガキ一枚戴く。又、六部全体でも「先制敢闘」の優勝旗を戴き登山競技を終わる。

7月17日(月) 晴れ

モールス、手旗、旗流の試験行われる。

7月18日(火) 晴れ

本日より水泳訓練。明治用水非常に深し。昼食に、ラムネ一本、夜菓子一袋。予科練だけあって待遇よし。

7月19日(水) 晴れ

サイパンの勇士玉砕を聞く。残念なり。勝負は我々予科練の肩にかかる。一日も早く大空に飛び立ち玉砕兵士の霊を慰めなければならぬ。朝、温習前に伊勢教員よりバッタいただく。入隊初のバッタにて恐ろしく思っていたが、予想ほどでなくよい経験であった。

7月20日(木) 晴れ後雨

朝温習は計器。午後

一時間ほど水泳。故郷の父を思い出す。かくのごとき心では米英撃滅は出来ぬ。奮闘せよ。

7月21日(金) 

昼食時注意されているとき横を向き第九班長に「アゴ」を一発。顔から火の出る思い。第二発急所に当てられ気絶せり。夕食後分隊士より明日の分隊対抗棒倒しに是非勝つよう話しあり。夕食後酒保配給ブツアンマンジュウ二個。

7月22日(土) 晴れ

朝温習は棒倒しについて。午後桃半分づつ配給。

7月23日(日) 晴れ

明日の司令巡視の準備あり。おれ等は相撲場建設。入隊後すでに二ヶ月を経るというのに外出なし。夜戦友と頭刈りする。

7月24日(月) 晴れ

午前基本作業。午後聯合艦隊司令長官寺岡謹平中将閣下の派遣隊巡視あり。最初基本作業を見ていただき、ついで棒倒しを見ていただく。三分隊偶数部奇数部に分かれ同時に行う。殴り殴られ。菓子一袋あり。

7月25日(火) 晴れ

本日より発動機整備を習う。午後、発理変更で発整になる。東條内閣総辞職、小磯内閣成立。

7月26日(水) 晴れ後夕立

午前、発整午後、体操武道つたあり。海軍剣道は攻撃精神旺盛。

7月27日(木) 晴れ後雨

横鎮の防空演習行われる。おれ等は飛行機搬出隊とて格納庫まですっとぶ。午後、陸戦の試験あり。昼食後苦きネーブル半分配給。

7月28日(金) 晴れ後雨

午後は防空壕ほり。多くがやれば仕事もはかどる。就寝後雨が降り出す。

7月29日(土) 雨後晴れ 

前田山、東富士一行の本相撲来たり本隊の土俵開き。午前中直接相撲取りにぶつかる。午後相撲体操終わって取り組み見学最後の前田山対東富士は見事前田山の勝ち。かくて楽しき一日は終わる。

7月30日(日) 曇り後晴れ

五部引率外出。六部大掃除、防空壕掘り。時局重大なり。午後洗濯、休業。

7月31日(月) 晴れ

午前発整。午後防空壕掘り。7月も終わりを告げる。