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連絡線跡の現状
総武線を越えて南方向を見通したところ。
写真右手の土手が旧連絡線跡で、現在は京成電鉄が走っている(ただし、この区間は今でも単線)。
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連絡線跡の現状
上の写真の場所から更に北へ進んだところ。
左側が連絡線跡。戦後、土手を壊して道路を造ったため、この部分はコンクリートで固められている。
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聯隊跡北東部の現状
写真左側が鉄道第二聯隊材料廠跡
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鉄道第二聯隊材料廠跡
総武線から北側の地域は鉄道第二聯隊材料廠の跡地であり、かつては煉瓦造りの車庫や工場などが立ち並んでいた。
戦後、陸上自衛隊第101建設隊という鉄道部隊の訓練場がこの一角に作られた(陸上自衛隊津田沼訓練場)。ここから旧軍の軌道敷を利用して習志野市実籾(「高津駅」という停車場があった)まで続く専用軌道も敷設されて蒸気機関車やモーターカー等を運行していたが、部隊廃止に伴い訓練場等も廃止された。
現在はイトーヨーカド−や駐車場などになっている。
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聯隊跡北部の現状
上の写真と同じ位置から聯隊跡北側を見通したところ
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材料廠西端付近の現状
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聯隊兵営地区と訓練場地区との境界付近の現状
写真は聯隊跡地を南北に貫く道路脇の歩道から千葉工業大学と民有地との境界付近を見たところ。
写真左の一段高いところが大学敷地で聯隊兵営地区跡。右側の低いところから南が訓練場跡。
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同上
上の写真の位置から東へ行ったところ。(西側を見たところ)
写真右側の一段高いところが兵営地区。左側の低いところが訓練場跡
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