海軍防空壕(ラッテストーン公園)

ラッテストーン

日本軍とは無関係だが一応紹介しておく。

原生林の中にあったものをここに移設したものという。

同上
復元図
復元図の説明文

海軍防空壕

海軍が建設したものと言われる防空壕

保存状態はかなり良い。

入口の表示

入口遠景

内部の状況

同上

同上

内部要図

説明文

別の入口

同上

又木山戦闘指揮所

グアム平和慰霊公苑

イェーゴ(ジーゴとも表記する)にある又木山(マタギャク山)に戦後作られた戦没者慰霊施設である。

慰霊塔は合掌した手の形を表している。

南太平洋戦没者慰霊協会HP

我無山平和寺

公苑内に建てられた寺院で、かつては日本から僧侶が派遣され常駐していたが、平成10年4月以降は派遣が中止され、今は無住である。

慰霊塔の基部
慰霊碑の数々
壕の入口

公苑の脇にある階段をすこし下ったところに戦闘指揮所の地下壕がある。

元々は衛生施設として作られたそうだが、実際には第三十一軍司令部戦闘指揮所として使用された。

入口は4カ所ほどあるが、それぞれ独立しており内部はつながっていないようである。

別の入口

おそらく小畑第三十一軍司令官がいたと思われる壕である。

昭和1929日、天上山にいた第三十一軍司令官小畑中将は、残存兵力をまとめて北部山岳地帯に移り、ここでの持久戦を意図した。 その際、ここに第三十一軍司令部戦闘指揮所が置かれたわけである。

しかし、やがて米軍は叉木山に猛攻を加え、小畑軍司令官等日本軍首脳が自決し、グアム島守備隊の組織的戦闘は終焉を迎えたのである。

説明板
コンクリート壕の入口
コンクリート壕の内部

この壕は非常に有名だが、土砂流入で入口は殆ど埋もれている。

ここ以外の壕は埋もれていて入れない。

同上
別の壕の入口
同上
同上

日本軍貯水槽

これは一番高いところにある物で、斜面に沿ってこのほかにも数カ所ある。

水源地へと降りる通路

イェーゴの戦い記念碑

ピティ海軍砲台

砲台に登る階段入口

ピティの海軍砲台には、艦砲が3門設置された。

アサン方面から上陸してくる米軍を迎撃する目的だったが、工事半ばで米軍の上陸に遭遇したため一発も砲撃しないまま放棄された。

砲台下の説明板

同上

五十口径三年式十四糎砲

軽巡洋艦夕張などの主砲や、戦艦長門・陸奥・伊勢などの副砲として装備された砲。

港からここまで人力で引っ張り上げたという。

同上

同上

小火器弾の当たった痕跡。 戦後米兵がイタズラで射撃したものと思われる。

同上

同上

同上

同上 説明板

同上 説明板

射撃指揮所跡と弾薬庫跡

砲の後方にある弾薬庫跡

射撃指揮所跡

鉄製の掩蓋が残る。

同上

別の五十口径三年式十四糎砲

陣地中央に設置されたこの砲は横倒しになっている。

同上

同上

別の五十口径三年式十四糎砲

一番奥にあるこの砲が状態が最も良く、作りかけのまま放棄された掩体の基礎も残っている。

同上 説明板

  同上 説明板

装填部

海岸方向を望む

同上

同上

工事中のままの掩体の基礎

横井ケーブ

横井ケーブ・タロフォフォの滝入口

観光地となっており、洞穴と滝の観光がセットになっている。

横井ケーブの説明模型

タロフォフォの滝

横井ケーブに向かう原生林内の歩道

横井ケーブ

同上

ここに横井庄一陸軍軍曹が隠れていたとされる。

同上

そばにある内部要図

説明板

閉鎖された史料館の日本軍装備品

九五式軽戦車

この旧史料館は、1号線をアデラップ岬(日本名「見晴岬」)の南側で南に左折した付近にある。

さび止めにプライマーが塗られたままの状態なので赤っぽい色である。

側面には海軍陸戦隊の軍艦旗が描かれているが、おそらく戦車第九聯隊第一中隊か第二中隊の車両と思われる。

同上

同上

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一式機動速射砲

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九六式二十五粍機銃(単装)

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四一式山砲

車輪と砲座はオリジナルではなく適当に作られた物。

同上

野砲の残骸

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スペイン統治時代の大砲の砲身

グアム島戦跡関係リンク

グアムの戦跡については既に多数の充実したサイトがありますので是非御覧下さい。

全国グアム島戦友会

戦 捜 録

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帝國陸海軍現存兵器保有国一覧

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