アンダーセン空軍基地

アンダーセン空軍基地の遠景

第二次世界大戦中の1944年(昭和19年)、日本本土爆撃のためのB-29爆撃機用の基地として米軍によって建設された航空基地である。

日本が占領していた当時にはなかった。

なお、ベトナム戦争中はB-52が展開し、ベトナムまで遠距離爆撃を実施していた。

現在でも太平洋方面における米空軍の重要な基地である。

浅間岬の防御陣地

太平洋戦争国立歴史公園アサン湾展望ユニット

アサン湾を鳥瞰できる高台にある公園で、モニュメントなどが作られている。

米海兵隊がグアムに上陸する様子を描いたレリーフ
アサンビーチを見下ろしたところ

写真左側の帯状の岬(日本名は「浅間岬」)の西側(左)地下に陣地が複数ある。

アサンビーチの公園
公園に設置された説明板
同上
同上
地下壕の一つ

この壕は、砲座跡が残っている岬の西側にあるものではなく、東側にあるものである。

同上

海側へ抜けるための交通壕か倉庫として作られかけたものではないかと見られる。

同上

この壕は途中で工事が中止されたのか、すぐに行き止まりとなっている。

第二十九師団司令部戦闘指揮所

外部の現状

ここは有名な場所であり、観光客もよく訪れる場所である。

案内板によれば、ここは「FONTE PLATEAU UNIT」、すなわち日本名で「本田台」と呼ばれていた場所だが、日本側の資料によっては、「マンガン山」とか「ニミッツヒル」と記されているものもある。

第二十九師団司令部戦闘指揮所は米軍上陸後三方から包囲され、高品彪(たかしなたけし)師団長は、この戦闘指揮所付近で敵の戦車砲か戦車の機関銃によって戦死したとされる。

指揮所入口

作戦室と思われる広い部屋

旧通信室

写真中央の台のような物は、無線機を置いていたところだという。

ガンビーチ砲兵陣地

ガンビーチの砲兵陣地

ガンビーチは、タモン湾(富田湾)北部、ホテルニッコーグアムの北側にある。

砲座は、遠目には見つけにくい良好な場所に位置選定されている。

この陣地は被弾していないようで、そのまま放棄されたものと思われる。

陣地を正面から見たところ

重厚なコンクリート製の掩体に守られているが、上部は露天である。

上部のコンクリートが戦後に撤去されたのか、元々露天掩体だったのかはわからない。

この砲(短二十糎砲)が地名の由来である。

短二十糎砲

同上

同上

砲座後方の弾薬庫

同上

同上

同上