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入口付近から時計塔方向を見たところ
通路の敷石は、かつて呉市電の軌道に使われていたものという。
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東郷平八郎旧居離れ座敷(国登録有形文化財 平成9年登録)
現在「休憩所」として使用されているこの建物は、東郷平八郎が呉に在任中(明治23年=1890年から明治24年=1891年、当時海軍大佐)の居宅の離れ座敷で、入船山公園に移築されたものである。
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旧呉海軍工廠搭時計
呉市有形文化財(昭和56年指定)。
この搭時計は、大正10年(1921年)に呉海軍工廠造機部庁舎の屋上に設置されたもので、昭和20年の終戦まで使用されていたが、その後昭和46年に入船山記念館内に移設された。10年後の昭和56年になって、有志の復元委員会と呉市が、愛知時計電機株式会社の協力を得て現在位置に整備・復元し、再び時を刻み始めた。
主要諸元は次のとおり。
・ 全体の高さ:約10メートル
・ 本体部分は一辺2.4メートルの立方体
・ 四方に直径1.5メートルの文字盤
・ 大正期としては画期的な電動親子式衝動時計
・ 動力継続装置、動力伝達装置、軸受、潤滑装置などに艦艇兵器独特の機械様式
・ 歯車は歯切加工技術に優れており、材質はネーバル黄銅
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番兵搭(歩哨舎)
券売所の前にあるもので木製。塗装は勿論再塗装だが、保存状態が極めて良好である。コンクリート製の歩哨舎は案外多数残っているが、木製は大変珍しい。
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同上
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傍らにある説明板
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券売所として利用されている建物
元々は呉海軍工廠の建物だったというが詳細は不明
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往来安全石灯籠(おうらいあんぜんいしどうろう)
明治17年(1884年)、広村(現座の呉市広)と郷原村(呉市郷原)とを結ぶ旧街道の峠に建てられた常夜灯4基のうちの1基を移設したもの。海軍との関係はない。
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旧高烏砲台火薬庫
この建物は、呉軍港一帯の防備のため、明治32年(1899年)から3年をかけて建設されたものの一つで、昭和42年に呉市警固屋の高烏砲台跡から移築したもの。
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同上
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火薬庫の内部
海軍関係資料の展示室として利用されている。
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入口を内部から見たところ
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火薬庫の脇に集積されている呉海軍工廠施設の石の銘板
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要塞地帯標
これらの標柱は、軍の重要な地域であることを標示するもので、立ち入りを禁止していたものである。呉軍港を囲む周辺の山々の要所にあったもの。
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屋外展示されている砲身
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艦艇用の砲身
艦砲と思われるが説明板等はない。
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旧式の砲身
こちらは、明治時代に要塞に設置されていたものと思われるが不明
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呉市郷土資料館
中に入る
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「水蓄式油槽鉄蓋」の説明板
2種類の鉄蓋が展示されている。
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鉄蓋
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丸形の鉄蓋
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陸奥のプロペラ
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プロペラの刻印
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説明板
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入船山北側へ下りる階段
階段を下りる
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旧呉鎮守府司令長官官舎
中に入る
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水交神社
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