(現状: 空き地、道路、歩道)

大正末頃の地図。黄色線で囲んだ部分が海軍施設、赤線が貨物線を示す。終戦時には各施設の敷地は拡大されていたりするので若干異なる部分もあるが、おおむねこのような配置となっていた。

地図中の丸数字は写真番号を示す。(地図に数字が入りきらない場合は主だった部分のみ記入してある。)

5 住吉分岐点付近

ここから陸上自衛隊霞ヶ浦駐屯地付近までの区間は、道路拡張のため線路跡の路盤が消滅しており、殆ど痕跡をとどめない。

霞ヶ浦駐屯地までの区間は、朝日分屯地への引込線と同じく戦後も長い間自衛隊により使用されていた。

13 住吉バス停付近

歩道の辺りが線路の跡。

14 右籾バス停付近

線路跡は、道路と歩道になっている。

15 第一海軍航空廠跡(陸上自衛隊関東補給処)

第一海軍航空廠跡は、戦後米軍に接収された後、警察予備隊に引き継がれて霞ヶ浦駐屯地となり、武器補給処を経て現在は関東補給処などが所在している。数年前まで本部庁舎を含め旧海軍の建物が多数残っていたが、施設の近代化に伴い現在は古い建物は残っていない。

16 霞ヶ浦駐屯地付近の線路跡

道路拡幅により完全に消滅している。

17 丸尾カルシウム前の線路跡

霞ヶ浦駐屯地に隣接した丸尾カルシウムという会社の前の状況。この辺りから道路は左右に分かれるのであるが、戦前は左側の直進道路はなかった。

歩道右側の植え込みが線路跡で、ここから数十メートルの間線路跡が残る。

18 丸尾カルシウム外柵沿いの線路跡

枕木などは残っていないが、壁沿いに線路の跡地が残る。

19 阿見郵便局前の現状

線路跡は、歩道と車線の一部になっている。

20 中郷バス停付近の現状

この辺りは線路の跡がほぼそのまま歩道となっているため歩道がかなり広くなっている。

21 キリン協和フーズ土浦工場前の現状

土浦工場の敷地は、元は霞ヶ浦海軍航空隊の飛行場入口格納庫地区であり、数棟の格納庫等があった。 現在は旧落下傘倉庫のみが残っており、現役で使用されている。

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(平成13年12月初掲、平成23年4月23日修正)