(現状: 空き地)

大正末頃の地図。黄色線で囲んだ部分が海軍施設、赤線が貨物線を示す。終戦時には各施設の敷地は拡大されていたりするので若干異なる部分もあるが、おおむねこのような配置となっていた。

地図中の丸数字は写真番号を示す。

5 住吉分岐点付近

ここから陸上自衛隊朝日分屯地付近までの区間は、戦後も長い間自衛隊により使用されていた。

また、その後も国有地のまま放置されているため保存状態が良好である。

なお、写真左側は、海軍軍需部霞ヶ浦支部本部地区の跡地である。

5 住吉分岐点付近

この付近は、枕木が多数残っており、踏切跡には線路も残っている。

5 踏切跡脇にある防衛庁境界標柱

現在も防衛庁が管理しているのか、財務省の管理下にあるのかはわからないが、いずれにしてもこの区間は国有地である。

しかし、いずれ道路拡幅などのためにつぶされる可能性はある。

6 路盤に残る線路

7 踏切跡に残る線路

8 踏切跡に残る線路

9 踏切跡に残る線路

10 踏切跡脇に残る線路

11 朝日分屯地前の現状

かつて線路はこのまま海軍軍需部霞ヶ浦支部燃料庫地区(現在は陸上自衛隊朝日分屯地)に引き込まれていた。

12 海軍軍需部霞ヶ浦支部燃料庫地区跡の現状

現在は陸上自衛隊朝日分屯地となっており、関東補給処朝日燃料支処が所在する。

現在の分屯地正門は海軍時代の場所とは異なっており、海軍時代には写真手前付近が正門だった。 写真右側のコンクリート製の柱は、おそらく海軍時代の正門門柱だと思われる。

住吉分岐点に戻る

(平成13年12月日初掲、同23年4月23日修正)