(平成15年7月28日掲載)

世宗大路

ソウルの中央通りとでも言うべき道路で、旧景福宮(キョンボックン)の正面から市内に向かって南に伸びている。かつてはこの正面に朝鮮総督府庁舎がそびえ立っていた。

写真中央の大きな人物の像は有名な李舜臣(イ・スンシン)将軍の銅像。1968年、光化門を再建した時に一緒に建てられたという。余談ながら、その9年後の1977年に、「将軍がうなだれているように見える。」とか、「鎧が長すぎる。」とか「右手に剣を持つのは降伏を意味するからよくない。」等という理由で撤去されそうになったりもしたが現在まで健在しているとのこと。

銅像の右奥に見えるのは景福宮の光化門。銅像の左奥に見える青い屋根の建物は青瓦台(韓国の大統領府)の一部

復興された光化門(クァンファムン)

1395年、景福宮の完成とともに建立された。当初は四正門サジョンムンと呼ばれ、光化門と改称されたのは1425年である。1592年、豊臣秀吉の朝鮮出兵により景福宮とともに焼失、1864年に景福宮再建とともにその姿を取り戻した。しかし日韓併合後の1927年(昭和2年)、朝鮮総督府庁舎建設に伴って景福宮の東側に移転させられ、1950年(昭和25年)朝鮮戦争で再び焼失した。現在の姿は、その後1968年(昭和43年)鉄筋コンクリートで復元された姿だという。なお、他の古宮の扁額(へんがく)はハングルで書かれているが、光化門の扁額は漢字で書かれている。これは復元当時の朴正煕(パク・チョンヒ)大統領の直筆である。

石造りの外柵

これは総督府時代のものではないかと思われるが未確認。朝鮮戦争時のものと思われる弾痕のようなものがたくさんある。

光化門から見た朝鮮総督府跡地付近

前方の門は興礼門(最近建てたもの)で、この辺りを中心として総督府庁舎が建っていたようである。総督府の痕跡は全くない。

興礼門

総督府庁舎を取り壊した跡地に復興したもの

勤政門

手前の橋は永済橋。これも最近再建したもの

勤政門からみた朝鮮総督府跡地(興礼門周辺)

勤政殿

勤政殿(クンジョンジョン)は韓国の国宝第22号に指定されている景福宮の正殿で、「民を勤勉に治める」という意味だという。

勤政殿は国家の公式的な行事、つまり王の即位式や外交官の接待などが開かれたところである。現在の建物は、第26代の王である高宗の父である興宣大院君により高宗4年(1867年)に再建されたものである。

現在は修復工事中であり、立入禁止なので、柵の外からながめるしかない。

景福宮敷地内の様子

逐次かつての宮殿建物が再建されている。家族連れなどで結構にぎわっている。

閔妃(びんひ)暗殺現場付近

上の写真は少し離れた場所からの撮影で、現在周囲は建物再建のためか更地になっていて工事中のため近づけなかった。

下の写真は、柵の脇から望遠で撮影した祠堂で、この内側に記念碑があるらしい。

敷地内に残る総督府時代のものと思われる建物

(平成15年1月1日撮影)