旧京城府庁

大正14年(1925年)3月着工、翌年10月に竣工した。地下1階、地上3階の鉄筋コンクリート造りで、壁は煉瓦を積み上げ、外壁下部には長く切断した花崗岩をはっている。ルネッサンス様式を単純化したような姿をしている。

現在はソウル市庁舎として利用されている。

旧朝鮮銀行

大正元年(1912年)竣工。ルネッサンス風の左右対称の建築物で、外壁は花崗岩、屋根の柱は鉄骨、スラブは鉄骨鉄筋コンクリートである。設計は、辰野葛西建築事務所という。

朝鮮戦争で内部が焼失してしまったが、昭和28年(1953年)に修復し、ほぼ原型のとおりに復旧した。

現在は韓国銀行として使用されている。

旧三越京城店

現在は新世界百貨店として使用されている。旧朝鮮銀行の向かい側にある。なお、5階部分は戦後増築されたものという。

旧京城駅舎

大正14年(1925年)9月竣工。ビザンチン風ドームを戴く地下1階・地上2階のルネッサンス様式の建物。表面は煉瓦張りで、屋根は鉄骨造りで天然スレートと一部銅板で出来ている。設計者は東京帝國大学教授の塚本靖。

現在はソウル駅として現役で使用されている。

南大門

上の写真は南側から見たところで、下の写真は北側から見たところ。かつてはこの両側に城壁が続いていた。

徳寿宮 大漢門

徳寿宮は、元は朝鮮の第9代の王である成宗の兄の月山大君の私邸であったが、1593年に避難先から戻ってきた第14代王の宣祖がここを臨時の王宮として利用して以来宮殿となったようである。1611年には「慶雲宮」と名付けられた。1615年に当時の国王が昌徳宮に移転してから約200年間は宮殿として使われなかったが、1897年に第26代王の高宗がロシア公使館から戻ってきてから再度王宮として使用されるようになった。同年、朝鮮は「大韓帝國」と国号を改め高宋は皇帝となったが、1907年に高宋が譲位してそのまま慶雲宮に留まっていたときに「徳寿宮」と呼ばれるようになったという。

写真の大漢門は徳寿宮の正門で、元は大安門という名前だったが1904年から正門として使われるようになり大漢門と改称した。

中和門

正殿である中和殿の前にある門

中和殿

徳寿宮の正殿で、かつては2階建てであったが、1904年の火災の後再建される際に1階建てに改められた。天井には龍が刻まれており、大韓帝國の「皇帝」の権威を象徴している。

石造殿

韓國併合ニ関スル条約」(明治43年条約第4)は明治43年(1910年)822日に京城において調印されたが、この年、石造殿は完成している。設計は英国のハーディングで、建設には韓国の沈宜錫、日本の小川、英国のデービスンなどが参加した。1階には侍従等の部屋、2階には接見室、3階には皇帝と皇后の寝室・浴室などを配置した。

現在は宮中遺物展示館として利用されている。

石造殿西館

この建物は、昭和13年に朝鮮で初めて現代美術品を展示する目的で建てられたもので、現在は国立現代美術館の分館である徳寿宮美術館として利用されている。

(平成15年1月1日撮影)