展示エリア

いつの建物かは不明。 内部は、シロソ要塞関係の写真や物品が多数展示されています。

撃墜された日本軍機のエンジン

説明板

25ポンド曲射砲

1939年に制式化された英軍の砲ですが、戦後持ち込まれたもののようです。

シロソ岬地下壕の地上部分

シロソ岬から北側の海峡を見たところ

砲台に降りる降り口脇の煉瓦の残骸

12ポンド砲(複製)

シロソ岬の西端にある砲台です。

射撃指揮所

12ポンド速射砲

同 上

同 上

射撃指揮所下部

砲台からシロソ岬地下壕に続く地下道

監視哨

シロソ岬地下壕の通路

同 上

地下壕の一室に設けられた日本兵のディオラマ

同上説明版

タンク

戦前戦中のものか戦後のものかは不明。 おそらく、旧機関室だと思われる。

64ポンドRML砲の砲身(1885年製)

13インチ迫撃砲

ここにある5つの迫撃砲(19世紀のもの)は元はシンガポール・ビクトリア・メモリアルホールに展示されていましたが後に国立博物館に移され、入口の遮断用に使われていたそうです 1969年にシロソ要塞跡に寄贈され1974年に現在地に設置されました。

「140ミリ沿岸砲」(正式名称不詳)

日本語の説明板によれば、この砲は1966年(昭和41年)にシンガポールのマンダイ原生林の中で発見されたもので、なぜそんなところにこれがあったのかは不明ですが日本海軍がシンガポールに配置していたものです 砲尾に残る銘によると、対船舶用として1914年に設計され1923年に海軍呉工廠で製造された物ということです。 現在地への設置は1976年

同 上

ノレールから見たところ

モノレール駅

セントーサ島(大東亜戦争当時はブランカンマティ島)には日本軍は上陸してきませんでしたが、シンガポールの英軍降伏が近くなったとき、島の砲を破壊せよとの命令が届きました。 そして、昭和17年2月14日、島の海岸砲は全て破壊・海中投棄されました。

翌15日、マレー軍総司令官A.E.パーシバル英陸軍中将がブキティマにあったフォード自動車工場において降伏文書に署名しました。 

その後、この島は、旧シロソ要塞も含めて、軍人並びに文官用の捕虜収容所として使用されました。

(平成17年5月15日)