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セントーサ島モノレール「フォート・シロソ駅」
砲側弾薬庫の上に建てられた駅舎で、石垣が残ります。
現在セントーサ島内は無料のモノレールが一周しており、大抵の観光地にはこれで移動可能です。
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駅舎の南側にある砲側弾薬庫(写真左側)
ここは中に入って見学できます。
説明板に拠れば、この弾薬庫は1880年代に建設され、モノレール駅のある場所にあった7インチ砲2門の砲弾と装薬を貯蔵していました。
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旧砲側弾薬庫内に展示されている薬筒と砲弾
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イギリス植民地化前の時代の大砲の砲身
マレー地方では、欧州人が初めてこの地域に来た時よりも約100年前に、この様な大法を作る技術を持っていました。 イスラムの貿易業者を通じて、中東から技術が伝来したものと考えられているそうです。 これらの大砲は、戦争の武器としても利用されましたが、ラマダンの断食の時期になると1日の断食の始まりと終わりを知らせるといった目的にも使われていました。 王族が誕生したり結婚したりしたときにも、祝砲として使用されました。
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同上
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64ポンドRML砲(7インチ砲)と砲座
この砲は本物ではなく模型の様ですが、英軍が初めて実戦に導入したRML(旋条前装)砲で、横行式操作台の付いた砲車の上に搭載されました。
この型の大砲は、1880年代のシロソ要塞の当初の軍備の一部として、ケッペル港と同港への西からの進入路の防衛用として設置されました。
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同 上
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64ポンド砲砲台からの視射界
セントーサ島北側の狭い海峡を完全に瞰制下においています。
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正門(中央)と衛兵所(右)
本来の正門を内側から見たところです。
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衛兵所
正門脇の衛兵所。 内部は人形により当時の様子が再現されています。
1885年建設。
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衛兵所入口
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人形による英軍駐屯時代の再現
説明板によると、クーパー砲兵中隊特務曹長(立っている方)が、シロソ要塞指揮担当のライス中尉に、英国からの新しい兵隊の到着を報告している様子を再現しているということです。
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要塞建設時の砲の引き上げ作業の再現ディオラマ
1885年の要塞建設当時、大砲の移動にはロープと滑車装置で大砲を保定しておいて、コロや板などを敷いて据え付け位置まで引き上げていました。 工事は工兵隊が担当しましたが、現地人を雇ったりもしたようです。
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同 上
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同 上 (上から見たところ)
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日本軍の四五式12糎砲(※正式名称不詳)
旧将校宿舎建物の側にあります。
昭和19年に海軍呉工廠で製造された砲だということです。 1979年にシンガポールのアッパー・ピアーズ貯水池付近で発見された物で、その後1981年に現在地に移設されました。
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同 上
こちらは奥の方にあるもう一門
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イギリスの植民地化前の時代の旧式砲
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将校用宿舎
1935年建設のこの建物は、シロソ要塞の将校2〜3名用の官舎として建てられたもので、寝室、ビリヤード室、書斎などがありました。
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旧将校宿舎の内部はこの様にディオラマになっています。
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兵舎内部の再現ディオラマ
兵用の兵舎の一部を再現した物で、金属ベッド、ロッカー、吊り放しの蚊帳が備え付けられていました。
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1885年当時の洗濯場の再現ディオラマ 洗濯は自分でしても良いし、ドビ・ワラーと呼ばれる洗濯男に出すことも出来ました。 たいていの場合、ドビ・ワラーは英軍に雇われた地元民で、湯沸かし、流し台、手動アイロン、木のバケツ、洗濯板といった簡単な道具を使って洗濯していたそうです。 少し余分に払えば、アイロンがけもしました。
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厨房の再現ディオラマ
要塞での兵士の食事は、主に肉、パン、ジャガイモ等を使ったものでした。 食事は現地人が作っていました。 この場面は、クーパー特務曹長が料理の検査をしているところだそうです。
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下士官用宿舎の中にある仕立屋の再現ディオラマ
軍専属の現地人仕立屋が僅かな料金で軍服や私服の修繕をしていました。
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下士官宿舎からの上り坂の途中にある砲身等
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旋条砲口装填式64ポンド砲
この砲身は、1860年代に英軍で導入された物で、64ポンド8オンスの弾丸が一般的に使われていました。 この砲は、旋回型砲座の上のスライド式砲架に乗せられていました。 セントーサ島東海岸の土中から発掘された物で、要塞初期に使われていたものです。
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7インチRML(旋条前装)砲
1885年配備の7インチ砲の複製です。 1880年代から1890年代に配備されていました。
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砲側弾薬庫(砲の左側)
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同上(砲の右側)
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