シンガポールの南端に位置するセントーサ島は元々はブラカンマティ島と呼ばれていました。 シンガポール建設の祖と呼ばれるスタンフォード・ラッフルズ卿は1819年当時からこの島の戦略上の重要性に気付いていましたがこの時は実際に要塞が建設されることはありませんでした 1850年代に入って英国内で動乱が起き、1869年にスエズ運河が開通すると、英国はシンガポール防衛の重要性に気がつき、1879年から要塞の建設に着手しました 1885年には工事が完成し、シロソ要塞と名付けられました この時の配備状況は、1コ砲兵中隊、人員18名、7インチ砲3門64ポンド砲2門であり、その任務は西の外洋からケッペル港への侵入を阻止するにありました

20世紀にはいると、要塞は拡張され7インチ砲の替わりに6インチ後装砲2門が配備されました。 シンガポールは第一次世界大戦には直接関係しませんでしたが1915年のインド兵反乱の制圧には大きな役割を果たしたそうです

1941年(昭和16年)12月1日にシロソ要塞に6インチ砲2門を含む大砲が増強配備されました 大東亜戦争開戦後の日本軍によるシンガポール攻略時には同年2月13日・14日の日本軍艦艇撃沈やシロソ要塞向かい側にあるプラウ・ブコム島の石油施設破壊にも活躍したといいます

シンガポールの英軍が降伏した後この要塞は捕虜収容所となり、昭和20年8月まで運営されました。

セントーサ島モノレール「フォート・シロソ駅」

砲側弾薬庫の上に建てられた駅舎で、石垣が残ります。

現在セントーサ島内は無料のモノレールが一周しており大抵の観光地にはこれで移動可能です

駅舎の南側にある砲側弾薬庫(写真左側)

ここは中に入って見学できます

説明板に拠ればこの弾薬庫は1880年代に建設されモノレール駅のある場所にあった7インチ砲2門の砲弾と装薬を貯蔵していました

旧砲側弾薬庫内に展示されている薬筒と砲弾

イギリス植民地化前の時代の大砲の砲身

マレー地方では欧州人が初めてこの地域に来た時よりも約100年前にこの様な大法を作る技術を持っていました イスラムの貿易業者を通じて、中東から技術が伝来したものと考えられているそうです これらの大砲は、戦争の武器としても利用されましたがラマダンの断食の時期になると1日の断食の始まりと終わりを知らせるといった目的にも使われていました 王族が誕生したり結婚したりしたときにも、祝砲として使用されました

同上

64ポンドRML砲(7インチ砲)と砲座

この砲は本物ではなく模型の様ですが、英軍が初めて実戦に導入したRML(旋条前装)砲で、横行式操作台の付いた砲車の上に搭載されました。

この型の大砲は、1880年代のシロソ要塞の当初の軍備の一部として、ケッペル港と同港への西からの進入路の防衛用として設置されました。

同 上

64ポンド砲砲台からの視射界

セントーサ島北側の狭い海峡を完全に瞰制下においています。

正門(中央)と衛兵所(右)

本来の正門を内側から見たところです。

衛兵所

正門脇の衛兵所。 内部は人形により当時の様子が再現されています。

1885年建設。

衛兵所入口

人形による英軍駐屯時代の再現

説明板によると、クーパー砲兵中隊特務曹長(立っている方)が、シロソ要塞指揮担当のライス中尉に、英国からの新しい兵隊の到着を報告している様子を再現しているということです。

要塞建設時の砲の引き上げ作業の再現ディオラマ

1885年の要塞建設当時大砲の移動にはロープと滑車装置で大砲を保定しておいてコロや板などを敷いて据え付け位置まで引き上げていました 工事は工兵隊が担当しましたが現地人を雇ったりもしたようです

同 上

同 上 (上から見たところ)

日本軍の四五式12糎砲(※正式名称不詳)

旧将校宿舎建物の側にあります。

昭和19年に海軍呉工廠で製造された砲だということです 1979年にシンガポールのアッパー・ピアーズ貯水池付近で発見された物でその後1981年に現在地に移設されました

同 上

こちらは奥の方にあるもう一門

イギリスの植民地化前の時代の旧式砲

将校用宿舎

1935年建設のこの建物はシロソ要塞の将校2〜3名用の官舎として建てられたもので、寝室、ビリヤード室書斎などがありました。

旧将校宿舎の内部はこの様にディオラマになっています。

兵舎内部の再現ディオラマ

兵用の兵舎の一部を再現した物で金属ベッドロッカー、吊り放しの蚊帳が備え付けられていました

1885年当時の洗濯場の再現ディオラマ

洗濯は自分でしても良いしドビ・ワラーと呼ばれる洗濯男に出すことも出来ました。 たいていの場合ドビ・ワラーは英軍に雇われた地元民で、湯沸かし、流し台手動アイロン、木のバケツ洗濯板といった簡単な道具を使って洗濯していたそうです。 少し余分に払えばアイロンがけもしました

厨房の再現ディオラマ

要塞での兵士の食事は主に肉、パン、ジャガイモ等を使ったものでした。 食事は現地人が作っていました この場面は、クーパー特務曹長が料理の検査をしているところだそうです

下士官用宿舎の中にある仕立屋の再現ディオラマ

軍専属の現地人仕立屋が僅かな料金で軍服や私服の修繕をしていました。

下士官宿舎からの上り坂の途中にある砲身等

旋条砲口装填式64ポンド砲

この砲身は、1860年代に英軍で導入された物で、64ポンド8オンスの弾丸が一般的に使われていました。 この砲は、旋回型砲座の上のスライド式砲架に乗せられていました。 セントーサ島東海岸の土中から発掘された物で、要塞初期に使われていたものです。

7インチRML(旋条前装)砲

1885年配備の7インチ砲の複製です。 1880年代から1890年代に配備されていました

砲側弾薬庫(砲の左側)

同上(砲の右側)

(平成17年5月1日)