怡和園(いわえん)跡
東京国立近代美術館(旧近衛師団司令部庁舎)の右脇の細い道を北(九段方向)へ進むと(途中で何本かに分岐するので堀沿いの高い道を進む)、1メートルくらいのこの石碑がひっそりと建っている。
幕末の江戸城北の丸には、田安家(西側)・清水家(東側)の屋敷があった。明治維新になって陸軍創設に伴い、田安家跡地に近衛歩兵第一聯隊、清水家跡地に同第二聯隊の兵営が建設され終戦まで駐屯していた。
怡和園は、近衛歩兵第一聯隊の敷地内にあり、明治中頃までは土を盛り上げただけの土堤であったものを、明治41年に手を入れて、広場や四阿(あずまや)を設け、花卉(がき)を植えて小庭園を造り、時の聯隊長由比光衛大佐はこれに怡和園と命名し、石碑を建てた。 爾来将兵の散策や憩いの庭として、また体操や訓練の場として長く親しまれていたという。
戦後、北の丸公園造成の際、この庭園はその様相を変え、石碑は地中に埋められていたが、その後わずかに出ていた石碑の頭部を発見し、これを発掘して再建した。「怡和」とは、「喜び和らぐ」の意味である。
|