明治三十七八年戦役(日露戦争)

2 両国の軍備

1 日本軍の軍備

 (1)  陸  軍

    ア  兵力

  日清戦争後すぐに将来ロシアとの衝突が予想されたので、「三国干渉」に憤激した国民感情を背景に軍備拡張を強行し、明治36年(1903)には、13個師団、2個騎兵旅団、2個砲兵旅団及び1個鉄道大隊が編成完結した。 この他に、台湾守備部隊、東京湾その他11の沿岸防備要塞が設けられていた。 野戦13個師団・騎兵2個旅団・砲兵2個旅団の総計は、歩兵156個大隊、騎兵54個中隊、野戦砲兵106個中隊、工兵38個中隊である。 なお、戦争末期には、野戦師団14個、後備師団2個、後備歩兵旅団10個等になり、臨時特設部隊を合わせて海外に出征したものは非戦闘員を含めて100万名に達した。
  

イ 兵器

  歩兵・工兵は30年式歩兵銃、騎兵・輜重兵は30年式騎銃、後備兵は主として村田連発銃を使用した。 戦争間、機関銃隊を臨時に編成したが、騎兵旅団に属した第1・第2繋架機関砲隊はホ式繋駕機関銃、師団の機関砲隊はホ式三脚式機関銃を使用した。 野戦砲兵隊は、主として31年式速射砲・山砲を使用した。

 (2) 海 軍

 戦艦6、巡洋艦6を含む艦艇152隻(264,600トン)を保有していた。 開戦後新たに購入したもの、建造したもの、捕獲したもの、商船を改造して仮装巡洋艦として使用したもの等約13万トンを加え、総計約40万トンの艦艇をもって作戦を実施した。 

 (3) 中央機構

 日清戦争の直前、海軍省の中から海軍軍令部が独立したが、その当時は陸軍参謀総長が大本営幕僚長であり、海軍軍令部長はその統制を受ける立場にあった。 しかし、明治36年12月28日には戦時大本営条令が改正され、海軍軍令部長は陸軍参謀総長と同列に立ち、大元帥たる天皇を補佐することになった。 

2 ロシア軍の軍備

 (1) 陸 軍

   ア 兵力

  陸軍は、正規軍とコザック軍の2種類からなり、平時は、任務上、野戦・予備・要塞・補充・補助任務の5種の部隊に区分されていた。 野戦部隊は平時31個軍団に編成され、この他に軍団に所属しない狙撃兵旅団、工兵旅団、鉄道兵旅団、臼砲連隊、要塞兵、輜重兵等が一部あった。 ロシア軍の戦時総兵力は、歩兵約1,740個大隊(167万名)、騎兵約1,085個中隊(18万2千名)、砲兵約700個大隊(16万7千名)、工兵約220個中隊(5万7千名)の合計約207万6千名で、その他、国境警備兵や民兵を含めると500万名以上を数えた。 しかしながら、日露戦争開戦に参加したロシア軍は極東総督管轄下の部隊と欧州方面から送られてきた一部の部隊であり、この時点で総督が使用し得た兵力は、野戦部隊としては歩兵68個大隊、騎兵35個中隊、野戦砲148門、工兵8個中隊、要塞部隊としては歩兵1コ大隊、砲兵4個大隊、工兵5個中隊であった。 ロシアは、開戦後も欧州方面から増援を送り続け、開戦5ヶ月後の7月頃には極東ロシア軍は下記のとおりの兵力になっていた。
  
  ●満州軍: シベリア第1〜第4軍団、第10軍団及び第17軍団基幹
  ●沿海州方面守備軍: 東部シベリア狙撃兵第2師団、同第8師団の1個連隊、騎兵約4個連隊及びウラジオ要塞部隊等
  ●関東兵団: 東部シベリア狙撃兵第7師団、同第5連隊、騎兵1個中隊、砲兵2個中隊及び要塞砲兵3個大隊等
 
  なお、8月の遼陽会戦の頃には、第1軍団、シベリア第5軍団が戦場に到着した。更に、戦争末期には、極東ロシア軍の兵力は、歩兵687個大隊、騎兵222個中隊、砲兵290個中隊となり、全軍の7分の3に達した。
  
  欧州方面からの増援は単線のシベリア鉄道によったが、ロシア軍は極東に到着した車両を全部焼却して復行させず、一方運行によって輸送力を強化して、上記のような大兵力の輸送を達成した。 ロシア軍はこれでも増援速度の遅延に苦しんだといわれるが、日本側の当初の見積を大幅に上回ったものであった。 しかし、日本がその保有するほぼ全兵力を満州に投入したのに比べて、ロシアは欧州方面の国際情勢と国内事情により兵力使用に制限を受けた。

   イ 兵器

  小銃は、1891年式5連発銃で、性能は日本の30年式とほぼ同等である。 機関銃はマキシム式で、戦争後半には、駄載式及びマドセン式を採用した。 野戦砲は、3インチ速射砲(76ミリ)、3インチ山砲、野戦重砲(103.7ミリ)、野戦軽砲(87ミリ)、野戦山砲(60ミリ)等であったが、3インチ速射砲は1900年制式に採用したもので日本の野砲より優れていた。 これらのうち、特に機関銃は日本軍を苦しめることになった。

 (2) 海 軍

  ロシア帝国海軍は、バルチック艦隊、黒海艦隊、太平洋艦隊、カスピ海艦隊の4つに区分され、総計80万トンを有したが、バルチック艦隊と太平洋艦隊が主力であった。 太平洋艦隊は、旅順とウラジオストックを基地とし、開戦前には欧州方面から回航されたものを含んで戦艦7隻、一等巡洋艦4隻を中核として約19万1千トンを保有していた。バルチック艦隊は、戦艦11隻、一等巡洋艦4隻、二・三等巡洋艦10隻を中核とする約28万トンであった。

(10.6.12作成)


3 両軍の作戦計画

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