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両国の軍備
(1)日本軍
ア 陸 軍
(ア) 平時編制
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- 総員6万余、7コ師団(近衛師団及び第1〜第6師団)。この他に、要塞砲兵4コ連隊があった。
- (注)平時の師団編制
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歩兵2コ旅団(1コ旅団は2コ連隊、1コ連隊は3コ大隊、1コ大隊は4コ中隊)
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騎兵1コ大隊(3コ中隊)(実際には近衛師団のみに編成)
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野戦砲兵1コ連隊(野砲2コ大隊、山砲1コ大隊、各大隊2個中隊、各中隊6門。近衛師団は2コ大隊のみ)
工兵1コ大隊(3コ中隊)
輜重兵1コ大隊(2コ中隊、近衛師団には欠)
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- (イ) 戦時編制
- 明治26年(1893)改正された戦時編制によれば、動員兵力は約15万名、後備軍を加えれば約27万を有していた。このうち野戦7コ師団に充当したのは約123,000名で、戦闘員のうち歩兵約63,000名、騎兵約2,100名、野・山砲は約240門であった。
(注)野戦師団の編制
歩兵2コ旅団(各旅団2コ連隊、各連隊3コ大隊、各大隊4コ中隊、師団歩兵合計約11,500名。近衛師団は8コ大隊、歩兵連隊2,896名、馬188頭)
騎兵1コ大隊(3コ中隊)
野戦砲兵1コ連隊(平時編制に同じ)
工兵1コ大隊(2コ中隊、近衛師団は1コ中隊)
輜重兵1個大隊
師団の兵員合計約18,500名(近衛師団は約13,000)
歩兵は18年式村田銃(口径11mm、最大射程2,400m)に統一されていたが、近衛師団及び第4師団だけは明治27年から村田連発銃(口径8mm、最大射程3,100m)を装備された。野砲及び山砲は青銅製で、口径は75mm、最大射程は野砲5,000m、山砲3,000mであった。
イ 海 軍
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- (ア) 軍 艦
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- 開戦前には、軍艦28隻(約576,000トン)、水雷艇24隻(約1,400トン)を保有していた。また、戦争間、商船4隻を武装して軍艦に代用したほか、捕獲艦艇12隻(約18,000トン)のうち1隻及び新造・購入艦艇9隻中4隻を戦争に参加させた。
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- (イ) 船 舶
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- 明治26年初頭現在の保有船舶は、汽船643隻(102,322トン)、帆船778隻(45,994トン)の計148,316トンに達していた。これが外征軍の兵員・物資の輸送を支えたのである。
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(2)
清 軍
ア 陸 軍
(ア) 軍の種類
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- 清国陸軍の制度はきわめて複雑であり、また古色蒼然として、兵数は多かったが近代軍としての素質は不十分であった。
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- 兵制上は、「八旗」、「緑営」、「勇軍」、「練軍」の4種があった。
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- 「八旗」は、清朝創業に功績のあった満蒙漢人の子孫からなり、約288,000名といわれた。
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- 「緑営」は、清朝が中国平定後に主として漢人で編成したもので、約539,000名といわれる。
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- 「八旗」「緑営」は、いずれも建国当時の制度をそのまま受け継ぎ、近代軍と言うには値しないものだった。
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- 「勇軍」は、太平天国の乱平定のために新たに作った民兵軍である。
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- 「練軍」は、八旗の中から選抜して特別に訓練したものである。
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(イ) 編成・兵力
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- 編制単位は通常「営」と呼ぶが、「軍」「勇」「旗」「隊」等の呼称もあって錯雑している。
兵種は、歩兵と騎兵の2種類だけで、工兵・砲兵・輜重兵等は歩兵営の中に含まれていたようである。
歩兵営は約350名で合計862営、騎兵営は約250名で合計192営、合計約35万であるが、この他に新規募集の兵約60万があり、総計約95万に達した。しかし、本戦争に使用した兵力は直隷省近くにあった部隊だけである。それでも日本軍より遙かに多かったが、組織・練度は日本軍より劣っていた。
また、兵器の種類も雑多であり、主体はモーゼル式小銃やクルップ式野砲・山砲であったが、総体的には日本軍に劣っていた。
イ 海 軍
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- 清国海軍の中核は、北洋・南洋・福建・広東の4水師(艦隊)、軍艦総数82隻、水雷艇25隻計約85,000トンで、数・質共に平均して日本軍より優勢だった。中でも、北洋水師が最も強力で、その主力艦「定遠」「鎮遠」は7,350トンの甲鉄艦で、日本の主力艦「松島」級の4,278トンに比して強大であった。ただし、建造が古く、速力・火力は日本艦の方が優れていた。
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- なお、戦争に参加したのは、北洋水師の全艦艇と広東水師の3艦艇で、軍艦25隻、水雷艇12隻計44,000トンだけであった。
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- 清国は、陸海軍共に日本を遙かに上回る兵力を保有していたが、戦争にはその一部しか使用できなかったのである。これは、当時の国際情勢のみならず、制度上の欠陥にもよるところがあった。
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