11月1日(水) 晴れ 

本日より冬季課程、六時起床 身体検査あり。

教員の進級式あり。

病弱のため死んでいった故海軍飛行兵長小奈陽三君の告別式あり。家族も臨席。同じ死ぬなら敵空母を沈めて散りたかったろうが、冥福を祈る。

11月2日(木) 曇り後晴れ 

隊内に神社でき、夜祭が行われる。祭神は天照大神我々の拠出金で出来たもの 雨のしとしと降る中、厳粛に行われる。

たいまつの火は天を焦がし、神々しさひとしお。

11月3日(金) 雨 

明治節というに朝から雨しとしと降る。午前奉納銃剣術試合を見学。

さすがに分隊選り抜きの選手とて強い。昼食たいした御馳走なし。小さな赤飯に、肉のうまに、人参のすまし。みかん二個、羊羹二本。

軍艦旗下ろしにぐずぐずしていて、罰直「前に支え」 雨の中とて服を汚す。明治節でもやるのだから、たまらない。軍隊の軍隊たる所以か。

夜 分隊長の話しあり。

11月4日(土) 晴れ 

岡空最期の飛関の教務あり。二期生の飛関の準備に終わる。

11月5日(日) 晴れ 

大掃除、身の回り整理、昼前第一警戒配備になる。敵B29編隊本土通過。

11月6日(月) 晴れ 

実習部隊の明治基地(海軍航空隊)に見学に行く。

飛関の教官、教員と共に。  の習と同じ道を通り、基地に着く。○○機がたくさんいる。新鋭機ばかりで搭乗員の姿、凛々しい。

空には、飛行機雲。離着陸を見て帰る。帰り軍歌演習あり。 帰隊六時。

11月7日(火) 晴れ 

二時間飛関 最期の最期なり。続いて進退検査  午後運動会 が始まってすぐ第一警戒配備とて、配置に着く。キャハンを巻いていく。

たいした競技なし。マット体操、騎馬戦。夜道場にて慰問演芸あり。

主計兵○○○○とか、元商売の物まねを行う。鳥の鳴き声等をする。続いて練習生の中より、東京音楽学校出とか歌を歌う。あざやかなり。

続いて漫才、舞踊 浪曲 等あり。楽しき一晩なり。

11月8日(水) 晴れ 

大詔奉戴日 午前武道場にて座談会あり。司令、副長、各分隊長、分士隊、教育列席のもと、に開かれる。

柿、みかん、おれ等の作った芋、明治の菓子、が出される。

各分隊の練習生代表の挨拶があり、教員の悪口等を言いながらの愉快な一日だった。

午後十キロ駆け足が雨の中で行われる。夜食五部のデッキにて会食あり。

11月9日(木) 晴れ 

分隊長の事業訓練あり。午後退隊準備。衣嚢、手箱の整理す。卒業前の一日も終わる。

11月10日(金) 曇り 

本日いよいよ岡空 最期の日になる。

午前八時、軍艦旗掲揚 そして卒業式。

司令の卒業伝達、普通科特技章の授与。左腕に桜のマークをつける。続いて部毎に司令、副長、分隊士をかこんで記念写真を撮る。

終わって兵舎に帰り、十一時退隊。「総員 見送りの位置に付け」 の号令がひとしお、心に響きわたる。

その中を隊伍堂々と、軍艦マーチに送られて出る時の感激 筆舌で表わすこと困難。

司令。副長。分隊長。各教官の見送りを うけつつ 敬礼をしながら 行進。門で 「帽 振れ」 のあの一瞬・・・・・・・何ともいいがたし。

裏門より 仮入隊し昼食 羊羹一本 みかん等あり  また肉赤飯で祝っていただく。

昼食時 美保空行きの発表。十班では、下口 清水 生井の三名。他はまだ美保空行き 五時隊退す。

分かれるときの辛さ 今度会うときは 靖国神社の気持ちなり。

五時過ぎ 百里原空行き発表。二十一分隊で七十名。 十班で七名 星野 湯浅 後藤 本間 宇野 山口 内田 なり。彼等は夕食後隊退す。

六か月間 共に学び 共に苦しんできた者との別れが辛い。

その後厚木空の者発表 吉川 今成 加藤の三人なり。

俺等はいよいよ最後に残される。どこへ行くのか不安。  続いて鈴鹿空の発表。遠藤 山本 小川 上田にして 後に残る 野口 海老原 自分 木村の四名は、大井空に行くと決まる。大井川の大井空。

これで皆行くところ決まり後部のデッキで寝つく。明くれば八時鈴鹿空行きと別れを告げる。続いて十時我々 大井空行きも六か月間教えを受けた完田分隊長始め各教員とも別れ 住み慣れた兵舎。二期生以下の後輩にも想いを残し去る。

いざさらば 我が 岡空よ