(現状: 道路、空き地)

大正末頃の地図。黄色線で囲んだ部分が海軍施設、赤線が貨物線を示す。終戦時には各施設の敷地は拡大されていたりするので若干異なる部分もあるが、おおむねこのような配置となっていた。地図中の丸数字は写真の番号と同じである。

@ 貨物線分岐点付近

現在は、土浦通運の敷地となっている。

なお、平成23年現在、写真右奥に写っている牽引機関車(陸上自衛隊朝日燃料支処まで燃料タンク列車を牽引していたもの)は廃棄されたのか既に無くなっている。

A 右カーブ付近

この辺りから貨物線は常磐線を離れて阿見方向へと進んでいた。道路の右側の歩道辺りが線路の跡らしい。

B 分岐点に向かう直線部分

歩道の縁石辺りが線路跡の中央付近と考えられる。

C 高架道路ガード下付近から分岐点を望む

前方の歩道橋付近で線路は分岐していた。

右へ曲がると航空燃料を扱っていたという航空施設部(現在は陸上自衛隊朝日燃料支処)、直進すると阿見方面に至る。

右へ曲がる           直進する

(平成13年12月初掲、同23年4月23日一部更新)