硫黄島の戦跡

(東京都小笠原村硫黄島)

 

西地区隊地域

 

西地区隊(長:辰見繁夫少佐)は、船見台の西端〜タコ岩東端〜元山飛行場第一滑走路(含まず)〜元山を連ねた線を南地区隊との境界として、その西側を担任していた。南側は旧噴火口付近で中地区隊に接し、北側は大阪山西北高千穂峡付近で歩兵第145聯隊の守備地域に接していた。この地区には、陸軍約2,500人、海軍約600人が配置されていた。

硫黄ケ丘

硫黄ケ丘は、左の写真のとおり、辺り一面が噴出した硫黄に覆われている地域で、戦前は硫黄採取の会社が工場施設を開設していたという。今でも機械の破片が僅かに見られる。写真中央の小高い丘は「船見丘」といい、戦前はここに井楼が建てられていて魚群の発見等に使われていたという。頂部には軍が作ったらしい露天掩体が残っている。

船見丘から摺鉢山を望む

ここは非常に良好な観測点であり、島の重要な地域を見渡すことが出来る。

船見丘から元山飛行場跡方面を望む

拡大写真左側の丸いドーム状のレーダがある辺りが「玉名山」、オレンジと白の市松模様の構造物がある辺りが「二段岩」の跡地という。

硫黄島島民平和祈念墓地公園

平成6年2月の天皇皇后両陛下の硫黄島ご訪問にあわせて造営された公園で、元々は硫黄島の島民墓地であった場所である。墓地自体は米軍の砲爆撃によりほぼ跡形もなく粉砕されてしまい、遺骨も失われてしまったという。

公園敷地の片隅にある古い墓石等

破壊されていたり焼けた痕がある古い墓石などが敷地の片隅に安置されている。

硫黄島旧島民戦没者の碑

島民の一部は疎開せずにそのまま島にとどまり軍属として徴用された。これらの人々は守備隊と運命を共にして全員戦死を遂げたが、これらの方達の慰霊のため、公園造園とともにこの碑が建てられた。

大阪山一番砲

大阪山砲台群(長:藤原良七中尉)は、海軍硫黄島警備隊の指揮下部隊の一つであり、大阪山15糎砲台(2門、弾薬70発)、大阪山12糎砲台(1門、弾薬100発)、大阪山1糎高角砲(4門)、射撃用電探、大阪山西直掩機銃砲台(10門)、大阪山東直掩機銃砲台、神社脇照空隊および三軒家照空隊から成っていた。大阪山は硫黄島西側の重要な緊要地形であり、激戦が繰り広げられた。

なお、この一番砲のコンクリートの天蓋は、平成8年2月の遺骨収集の際に除去されている。

15糎砲の打ち殻薬莢

砲身に食い込んだ不発弾

砲身はかなりの数の被弾をしておりデコボコの状態になっているが、写真の箇所には今でも不発弾が砲身に食い込んだままになっている。

砲身の内部

説明板

硫黄島協会が設置した説明板

二番砲のコンクリート製掩蓋掩体

一番砲の左隣にある。砲は残っていない。

二番砲の掩体内部

ここも被弾しているので崩れ気味の状態である。

二番砲付近に放置されたステップ

砲の照準手か射撃手用ではないかと思われるステップが掩体の外に転がっている。

(平成14年2月12日初掲)