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天皇陛下行幸記念碑
平成6年2月12日、天皇皇后両陛下が硫黄島をご訪問されたことを記念する碑。この碑は自衛隊の基地内広場の傍にある。
硫黄島は、島中にまだ日本軍将兵の遺骨が数千人分眠っており、全島が墓地のような島であるが、それ故か、昔から日本兵の霊を目撃したという話や不可解な現象などが無数にあったが、この天皇陛下の行幸以来、そうした現象がぴたっと止んだという。
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海軍陸戦隊本部跡
硫黄島基地内にある大きな掩蓋掩体。所々に被弾して砕けている。ここは、昭和20年1月までは海軍の第27航空戦隊司令部壕であったが昭和20年2月以降は陸戦隊本部となった。
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陸戦隊本部裏の回収品・慰霊碑
島内各地から回収された兵器類や、北硫黄島派遣隊の慰霊碑がある。
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八九式中戦車砲塔等の残骸
戦車第26聯隊(聯隊長:男爵陸軍中佐西竹一)の戦車の砲塔だという人もいるが、この砲塔は八九式中戦車の砲塔であり、「日本の戦車」によると戦車第26聯隊は九七式中戦車と新砲塔九七式中戦車、九五式軽戦車から編成されているので、この砲塔はトーチカ用に本土から運ばれた廃車になった八九式中戦車の砲塔だと思われる。
(資料協力:むーさん)
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高射砲の残骸
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試製四式噴進砲
噴進砲とはロケット砲のことで、硫黄島戦では大きな威力を発揮し、海兵隊員をパニックに陥れた。
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北硫黄島派遣隊慰霊碑
あまり知られていないが、硫黄島の北方に北硫黄島という島があり、ここに、海軍北硫黄島派遣隊(隊長:遠藤喜義海軍中尉)が駐屯していた。派遣隊は、昭和19年7月に硫黄島警備隊司令和智中佐から命ぜられて北硫黄島の守備と島周辺で遭難した輸送船乗組員及び不時着機搭乗員救助に任じて以来、昭和20年9月上旬まで島を守り抜き任務を全うした。
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高射砲陣地
コンクリート台座上にそのまま残る海軍の高射砲
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摺鉢山を望む
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千田壕
混成第二旅団司令部の地下壕跡。旅団長の千田少将の名を取って「千田壕」と呼ばれる。現在は硫黄島基地の滑走路地区の端にある。現在の硫黄島基地は、旧元山飛行場を米軍が拡張したもので、多数の陣地跡が破壊されたり地下に埋められたりしている。勿論将兵の遺骨も滑走路の地下に多数眠っている。
千田壕は、まだ地下に旅団長以下が潜んでいる時に米軍部隊によって地上を占領されてしまい、通気口等もふさがれてしまったため内部は灼熱地獄となった。旅団長は進退窮まって全軍突撃を栗林兵団長に申し出たが却下され、結局ここを出て島の北部にあった兵団司令部に合流しようとした途中で進路を阻まれ自決した。
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千田壕内部
縦穴を降りると斜め下に狭い地下道が続いている。途中で曲がると奥に少し広いところがあり、そこに千田旅団長らがいたという。
この壕は通気口がふさがれているため、文字通りの焼けるような灼熱地獄で、すさまじい熱気と蒸気であり、内部の写真は撮れなかった。
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