硫黄島の戦跡

(東京都小笠原村硫黄島)

 

北地区隊地域@

 

北地区隊(長:下間嘉市大尉)地域には、小笠原兵団司令部等の兵団の中枢組織が所在していた。北地区隊には、陸軍約3,500人、海軍約1,700人が配置されていた。

銀明水

既述のとおり、硫黄島には湧水も河川もないため、守備隊は水の確保に非常に苦労したが、この大きな岩の奥には、地下から吹き出た水蒸気や雨水が自然に溜まるようになっており、硫黄島にあっては貴重な飲料水とされていた。実際に見るととても飲めそうにない水たまりなのだが、この島にあっては名水であるとされ、そのために「銀明水(ぎんめいすい)」と呼ばれていた。

銀明水

せまい入口を入っていくと数メートル奥の突き当たり下に水たまりがある。これが雨水や水蒸気がたまった「銀明水」である。実際に見てみると、とても飲もうなどとは思わない水であるが、硫黄島ではかけがえのない真水であった。

銀明水は海岸にあるためすぐに米軍に奪取されたが、日本軍は飲料水を手に入れるため、夜になると各部隊から水くみの兵が危険を冒してたくさんやってきて、米軍占領地域であるにもかかわらず多数の日本兵でいっぱいになっていたという。

最近は年々水量が減っているそうである。

銀明水脇にある貯水槽(?)跡

コンクリート製の貯水槽らしき設備の残骸。日本軍の物か米軍が戦後作った物かは不明

貯水槽(?)内部

配管の穴が両端にある。高さは1.5メートルくらい。

炊事壕入口

炊事壕は、文字通り地下で炊事を行なった壕である。壕内の通路は狭く中腰でないと進めない高さである。

炊事壕内のドラム缶

壕内に遺棄されたドラム缶

炊事壕内の様子

内部は地熱でかなり蒸し暑く、歩くとすさまじい土埃が舞う。

炊事用大釜

石組みの炉と大人数の炊事を行なうための大きな釜が3つ残っている。

炊事壕の他の出入口

付近には他の出入口が複数残っており、内部でつながっている。

北観音

北観音は、日本軍将兵の遺族が建立した慰霊のための観音像の一つである(写真中央左手前側)。

北観音の後方(写真では中央右側の白い方)にあるのは、通称「マリア観音」である。米軍の占領時代、日本側の遺族が慰霊のためにこの地に観音像を建立したところ、何回建立してもその都度米軍兵士が土産などとして持ち去ってしまうため、遺族が米国に抗議したところ、米国政府がマリア像をかわりに建立した。島が日本に返還された後、あらたに観音像を建立する際、このマリア像を撤去使用という話が出たが、「一時期観音像の代理を務めてくれたのだから」ということで、撤去はせずにマリア観音と称して今も残してあるものである。

第百九師団臨時野戦貨物廠壕石碑

第百九師団臨時野戦貨物廠壕は地下に作られた補給品の保管倉庫のような壕であり、のち、独立歩兵第314大隊本部壕に転用された。

貨物廠壕入口

岩を掘削して作られている。

そばにある別の出入口

入口付近の遺棄ドラム缶

(平成14年2月15日初掲)