海軍水平砲台跡(一番砲)
摺鉢山の麓には旧式の重巡洋艦(戦艦という話もある)の副砲として使われていた14糎(サンチ=センチ)砲などが配置された。
写真の砲は「一番砲」と言われている砲であり、元々は鉄筋コンクリートの重厚な掩蓋に入っていたが、今は正面と天井が完全に無くなっている。
俗に、米軍の艦砲射撃により破壊されたためだと言われているが、実はそうではなく、米軍の艦砲射撃によりある程度破壊はされたのだが、戦後も天井など掩蓋の大部分は残っていたという。
しかし、硫黄島協会による遺骨収集の際に天井のコンクリートが崩落する危険があったためにこれを撤去したものだという。
ところで、この一帯の海軍砲台は十数門あり、本来は米軍上陸後まで沈黙して、上陸後一斉に海岸の米軍を粉砕する計画となっていた。
ところが、実際には栗林兵団長の命令に反して敵主力の上陸前に掃海作業に来た敵舟艇などを砲撃してその位置を曝露してしまい、米艦の集中砲火を受けて全滅してしまったという。
この射撃については「勇み足」とか「日本側唯一の失敗」などと評され、主力上陸前に射撃を行なった海軍砲員を批判する向きが多く、実際、この砲台は俗に「勇み足砲台」などとも呼ばれている。
海軍がなぜ射撃したのかは今となっては明確なことはわからないが、「海軍砲台が射撃した時には既に連日の艦砲射撃により全滅寸前であったため、座して全滅する前に一矢報いようとしたのだ。」という主張もある。
また、数門の砲が破壊された後、それらの中から使える部品を寄せ集めて1門の砲を復元して戦い続けた砲台もあったという。
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