硫黄島の戦跡

(東京都小笠原村硫黄島)

 

摺鉢山地区隊地域A

 

「独速第十大隊壕」石柱

硫黄島協会が建立した石碑。硫黄島内には、こうした標柱が多数建立されている。

「独速第十大隊」とは、摺鉢山地区隊長松下久彦少佐が大隊長をつとめる独立速射砲第十大隊のことである。「速射砲」とは対戦車砲のことで、旧陸軍ではこう呼んでいた。

摺鉢山地区隊は、陸軍2コ大隊1,060名、海軍約640名から成り、早期の孤立を当初から予想して拠点陣地を構築した。

同地区隊は、千鳥飛行場方向からの敵の攻撃に対処できるよう、摺鉢山山麓から北方700〜800メートル付近を第一線陣地として独立歩兵第三百十二大隊第四中隊と第二中隊を並列、第一線陣地の支援と山麓の海軍砲台の直接掩護のため摺鉢山の山麓地域に第一中隊・第三中隊を縦深に並列して防御陣地を編成した。

二ツ根浜

第5海兵師団第27海兵連隊・第28海兵連隊第2大隊が上陸した地点で、硫黄島戦当時、写真の黒い砂浜地域はまだ海中で、写真左端の緑の部分が当時の海岸線である。

海岸に落下したトーチカ

摺鉢山は大部分が堅い岩盤で陣地構築には適していなかったため、地区隊の陣地は山麓の土丹岩(どたんがん)の地域に構築された。

写真のコンクリート製トーチカは、海岸の断崖上に配置されていたが、トーチカの下に米軍の艦砲射撃を受けたため、トーチカが吹き飛ばされひっくり返って落下したものであるという。

艦砲射撃のすさまじさがよくわかる遺構である。

独立速射砲第十大隊本部壕跡(松下壕)

写真中央の穴が松下壕と言われている本部壕跡である。

手前側の大部分が吹き飛ばされたらしく、奥行きは1メートルくらいしか残っておらず、壕の一番奥の部分のみが残っている状態である。

山麓の土丹岩の部分に掘られたものである。

水際陣地跡

一見すると岩がゴロゴロしているだけに見えるが、将兵が岩を積み上げて作った陣地の跡である。草が茂っているところが火器を配置した掩体(えんたい)の跡で、手前に延びる溝のようなところが交通壕である。

元々はもう少し高く積まれており偽装もされていたはずであるが、今は半ば崩壊した状態にある。

別の水際陣地跡

近くにある別の陣地跡

(平成14年1月17日初掲)